第3回チェコ演奏会企画
ブルノを知るSNS・WEB連載
私たちフィルハーモニックアンサンブル管弦楽団の第3回チェコ演奏会(2026年9月14日)開催地ブルノ。どんな街なのか? 歴史、文化、音楽、街並み、そして人々の魅力まで、観光のガイドブックにもなるよう、少しずつご紹介していきます。
ぜひ一緒に、音楽都市ブルノを旅する気持ちでお楽しみください!

1.ブルノってどこ?
チェコと聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのはプラハ かもしれません。けれど、その先にもう一つの魅力的な都市があります。それがブルノです。
ブルノはチェコ第2の都市であり、モラヴィア地方の中心として独自の文化を育んできました。首都の華やかさとは少し違い、ここには落ち着いた時間と、人々の日常が息づく本物の街の表情があります。石畳の広場では人々が語らい、歴史ある建物のすぐ隣には洗練されたカフェや学生たちの笑い声が広がります。
この街の魅力は、「古いものを大切にしながら、新しいものを生み出していく力」にあります。中世から続く歴史、大学都市としての知性、そして芸術を愛する空気。そのすべてが自然に混ざり合い、ブルノならではの空気をつくっています。
そして何より、ブルノには音楽があります。チェコの大作曲家ヤナーチェク が愛したこの街では、今も劇場やホールに音楽が響き、人々の暮らしの中に文化が生き続けています。近年のブルノは、歴史都市であると同時に、未来へ向かう都市としても注目されています。空港の路線網も拡大し、中欧の玄関口としての存在感を高めています。
日本からはヨーロッパ主要都市を経由して訪れるのが一般的で、ウィーン やフランクフルト から鉄道で向かう旅も人気です。都市のサイズがほどよく、周辺国へのアクセスも良いため、中欧を巡る拠点としても魅力があります。日本との時差はマイナス8時間(サマータイム時はマイナス7時間)です。ブルノは、地図の上では“第2の都市”。けれど訪れた人の心には、“特別な街”として残る場所です。

2.歴史ある街
ブルノの歴史は中世までさかのぼります。現在の街の基礎が築かれたのは11〜13世紀頃とされ、1243年には都市としての特権が与えられ、本格的な発展が始まりました。交易路の要衝に位置していたことから、人や物が集まり、モラヴィア地方の重要な都市へと成長していきます。
その後のブルノは、幾度もの戦乱や時代の変化を乗り越えてきました。17世紀の三十年戦争では包囲戦に耐え、街の名をヨーロッパに知らしめました。丘の上にそびえる シュピルベルク城は、そうした激動の歴史を静かに見守ってきた象徴です。
19世紀になると産業都市として大きく発展し、繊維業や機械工業が栄え、「モラヴィアのマンチェスター」とも呼ばれました。中世の面影を残す旧市街と、近代化によって築かれた街並みが共存しているのもブルノならではの魅力です。
現在、街を歩けば石畳の広場、歴史ある教会、重厚な建築物が各所に残り、過去と現在が自然に溶け合う風景に出会えます。観光地として飾られた歴史ではなく、人々の暮らしの中に生き続ける歴史―それがブルノの大きな魅力です。
ブルノは、何世紀もの時間を積み重ねながら、今もなお歩み続けている街です。

3.シュピルベルク城
ブルノの街を見下ろす丘の上に建つシュピルベルク城は、この街を象徴する存在です。遠くからでもその姿を見ることができ、ブルノの歴史を語るうえで欠かせない場所となっています。
この城は13世紀、ボヘミア王家のもとで築かれました。当初は王の居城として、またモラヴィア地方を守る重要な拠点として機能しました。その後、時代とともに大規模な要塞へと整備され、ブルノ防衛の中心的存在となっていきます。
特に知られているのが、1645年のスウェーデン軍による包囲戦です。三十年戦争の末期、ブルノの守備隊と市民は激しい攻撃に耐え、街を守り抜きました。この出来事は、現在もブルノの誇りとして語り継がれています。
この戦いにまつわる有名な逸話が「11時の鐘」です。伝説によれば、敵軍が正午までに陥落しなければ撤退すると決めていたため、ブルノ側は1時間早い11時に鐘を鳴らし、撤退を早めさせたとされています。現在も聖ペテロ・パウロ大聖堂では11時に鐘が鳴り、街の名物の一つとなっています。
18〜19世紀には、城は帝国の監獄としても知られるようになりました。とくに地下施設「カゼマット」は、城内でも印象的な見学スポットです。厚い石壁と静かな空間には、要塞と監獄の歴史が色濃く残されています。
現在のシュピルベルク城はブルノ市歴史博物館の拠点の一つとして公開され、展覧会や文化イベント、季節の催しなどが行われています。城の丘からは、旧市街の赤い屋根、聖ペテロ・パウロ大聖堂の塔、そして現代的な街並みまで一望できます。歴史の舞台であり、市民の記憶であり、今は文化を育む場所―シュピルベルク城は、ブルノの過去と現在を結ぶ特別な存在です。
ブルノを訪れたなら、まずこの丘の上から街を見渡したくなる。そんな場所がシュピルベルク城です。

4.聖ペテロ聖パウロ大聖堂
ブルノの街を歩き、ふと空を見上げたとき。ひときわ印象的にそびえる二つの尖塔が目に飛び込んできます。それは街のシンボル、「聖ペテロ聖パウロ大聖堂」。
丘の上に建つその姿は、中世から現在に至るまで、街のどこからでも道標のように人々を迎え入れてくれます。この場所の起源は11〜12世紀頃の教会にまでさかのぼります。時代とともに増改築が重ねられ、現在の特徴的なネオゴシック様式の双塔が完成したのは20世紀初頭のこと。今ではブルノのスカイラインを象徴する、欠かせない景色となりました。
大聖堂が建つ丘は「ペトロフ(Petrov)」と呼ばれ、市民にとっての憩いの場でもあります。ここから見渡す旧市街のパノラマはまさに格別。昼は、青空に映える赤い屋根のコントラスト。夕暮れは、街全体をやわらかな光が包み込むマジックアワー。夜はオレンジ色の街灯が灯る幻想的な夜景。
観光名所としてだけでなく、買い物中やカフェでのひととき、ふと聞こえてくる鐘の音は、ブルノの暮らしのリズムそのものです。
前回の連載でご紹介した、三十年戦争における「11時に鳴る正午の鐘」の伝説。スウェーデン軍を退けたあの機転の舞台こそが、まさにこの大聖堂です。今もなお11時に響き渡るその音色は、この街の誇り高き歴史を現代に伝える、生きた鼓動とも言えるでしょう。
一歩内部へ足を踏み入れれば、外観の華やかさとは一変、荘厳な祭壇と美しいステンドグラスに彩られた静謐な空間が広がります。長い歴史の中で、人々の信仰と街の象徴として大切に守られてきた、祈りの重みを感じることができます。
歴史ある丘の上から街を見守り、今も独特のリズムで鐘を響かせ続けるブルノの大聖堂。この街を訪れたなら、まずは空を見上げてください。そこに、ブルノの魂が立っています。

5.カフェ
ブルノの魅力のひとつが、街のあちこちに点在する個性豊かなカフェです。石畳の旧市街を歩けば、歴史ある建物の中や路地の一角に、思わず立ち寄りたくなるような空間が広がっています。
カフェは、単にコーヒーを飲む場所ではありません。人が集い、語り、考え、時間を過ごす―いわば“もうひとつの居場所”。ブルノでもその文化は自然に息づき、学生や地元の人々がそれぞれの時間を楽しんでいます。
ブルノはチェコ有数の大学都市。多くの学生が暮らすこの街には、首都 Prague と比べてやや落ち着いた空気が流れ、物価も比較的穏やかです。気取らず、長居できるカフェが多いのも、その魅力のひとつです。
たとえば、Café Momenta のように広場に面したカフェでは、街の風景を眺めながらゆったりとした時間を過ごすことができます。また、SKØG Urban Hub のような現代的で洗練された空間では、ブルノの若い感性や新しい文化の息吹を感じることができます。
カフェでぜひ味わいたいのが、中欧らしい一杯。たとえば、ホイップクリームをのせた「ヴェドニ・カフェ(Vídenská káva )」は、やわらかな口当たりと豊かな香りが特徴です。そして甘いもの好きには、蜂蜜の風味が層のように重なる伝統菓子「Medovník 」も外せません。コーヒーとともに過ごす時間を、より豊かなものにしてくれます。
旧市街の広場に面したカフェで街を眺める時間もあれば、モダンで洗練された空間で静かに過ごす時間もある。ブルノのカフェには、観光地と日常が自然に溶け合う心地よさがあります。
急がず、予定を詰めすぎず、ただ座って時間を味わう―そんな過ごし方が似合う街。
コーヒーの香りとともに流れるゆるやかな時間こそ、ブルノという街の魅力そのものです。

6.ヤナーチェクの街
チェコを代表する作曲家 Leoš Janáček(レオシュ・ヤナーチェク)。その創作の多くは、ブルノという街と深く結びついています。
ヤナーチェクは長年ブルノで暮らし、教育者として後進の指導にあたると同時に、この街の音や言葉、人々の暮らしから着想を得て作品を生み出しました。彼は日常の会話の抑揚やリズムを音楽に取り入れる独自のスタイルで知られ、チェコ語の響きそのものを音楽へと昇華させた作曲家でもあります。
代表作にはオペラ《イェヌーファ(Její pastorkyňa)》や《利口な女狐の物語(Příhody lišky Bystroušky)》などがあり、20世紀音楽の中でも独自の位置を占めています。これらの作品の背景には、ブルノでの生活やモラヴィア地方の文化が色濃く反映されています。
現在のブルノには、Janáček Theatre(ヤナーチェク劇場/Janáčkovo divadlo)があり、オペラやバレエの公演が行われています。また、国際音楽祭 Janáček Brno(ヤナーチェク・ブルノ)も開催され、世界中の音楽ファンがこの街を訪れます。
街を歩くと、ヤナーチェクの存在を身近に感じることができます。例えば、Statue of Leoš Janáček(ヤナーチェク像)は、彼の音楽と街との結びつきを象徴する場所のひとつ。また、歴史ある Church of St. Thomas(聖トマス教会/Kostel svatého Tomáše)周辺も、ブルノの文化的な空気を感じられるエリアとして知られています。さらに、ヤナーチェクが暮らした家は Janáček House(ヤナーチェクの家/Janáčkův dům)として公開されており、彼の創作の軌跡に触れることができます。
ブルノの街を歩くと、劇場の舞台だけでなく、何気ない日常の中にも音楽の気配を感じることがあります。それは、この街にヤナーチェクの精神が今も息づいているからかもしれません。ブルノは、ヤナーチェクが生き、聴き、そして音楽へと昇華した“音の街”なのです。

7.モラヴィア
ブルノは、チェコ東部に広がるモラヴィア地方の中心都市です。チェコは大きくボヘミア、モラヴィア、シレジアの3つの地域に分かれ、その中でモラヴィアは独自の歴史と文化を育んできました。
モラヴィアはかつて「Great Moravia」と呼ばれる国家の中心でもあり、中欧の歴史において重要な役割を果たしてきた地域です。その伝統は今も人々の暮らしの中に息づいています。
この地域の魅力のひとつが、豊かな民俗文化です。色鮮やかな民族衣装、伝統的な音楽や舞踊、そして季節ごとに行われる祭り。ブルノ周辺でも、そうしたモラヴィアらしい文化に触れる機会が多くあります。
また、モラヴィアはチェコ随一のワイン産地としても知られています。温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ、白ワインを中心に高品質なワインが生産されています。ブルノの街でも、気軽にその味を楽しむことができます。
さらに、モラヴィアの人々は温かく親しみやすい気質で知られ、どこか素朴で穏やかな空気が流れているのも特徴です。首都プラハとはまた違った、ゆったりとした時間を感じることができます。
歴史、文化、自然、そして人々の暮らし―そのすべてが調和するモラヴィア地方。その中心にあるブルノは、チェコのもう一つの魅力を感じさせてくれる場所です。ブルノを訪れることは、モラヴィアという文化そのものに触れる旅でもあります。

8.メンデルの街
「エンドウ豆の実験」学校の理科の授業で一度は聞いたことのあるその研究は、実はブルノで行われました。
その人物こそ、遺伝学の基礎を築いた修道士Gregor Mendel(グレゴール・メンデル)です。
メンデルが研究を行っていたのは、
ブルノにある St. Thomas Abbey(聖トマス修道院)。この静かな場所で、彼はエンドウ豆の交配実験を繰り返し、「遺伝の法則」という画期的な理論を発見しました。当時はほとんど注目されなかったこの研究が、後に世界の科学を大きく変えることになります。
メンデルの発見は、現在の遺伝学・医学・農業など、あらゆる分野の基礎となっています。ブルノは音楽の街であると同時に、“科学の歴史が生まれた街”でもあるのです。
修道院の庭には、当時の研究を再現した展示もあり、メンデルが見ていた景色に思いを重ねることができます。静かな空間の中で、世界を変えた発見が生まれた場所に立つ、そんな特別な体験ができるスポットです。
音楽だけではない。ブルノは、人類の知の歴史を動かした街でもあります。

9.ワインの街
ブルノが位置する南モラヴィア地方は、チェコを代表するワインの名産地です。温暖な気候と豊かな土壌に恵まれたこの地域では、古くからブドウ栽培が行われ、現在も国内ワイン生産の中心を担っています。
なかでも特徴的なのは、フレッシュで香り高い白ワイン。Riesling や Grüner Veltliner、Pálava など、モラヴィアならではの品種が親しまれています。やわらかな酸味と繊細な香りは、料理ともよく合い、日常の中で気軽に楽しまれています。
ブルノの街中でも、そのワイン文化に触れることができます。カフェやレストランではグラスで気軽に注文でき、地元の人々がワインを片手に語らう光景は、ごく自然な日常の一コマです。
さらに少し足を延ばせば、ブドウ畑が広がるのどかな風景へ。収穫の季節には「ブルチャーク(発酵途中の若いワイン)」が出回り、この時期ならではの味覚として親しまれています。
モラヴィアのワイン文化は、観光のためだけのものではなく、人々の暮らしに根ざしたもの。特別な日に開けるだけでなく、日々の食卓や会話の中に自然に溶け込んでいます。
グラスを傾けながら過ごす穏やかな時間―それもまた、ブルノという街の魅力のひとつです。

10.地下都市ブルノ
歴史ある街・ブルノ。その魅力は地上だけではありません。石畳の街並みの“その下”には、何世紀にもわたる歴史が眠る地下世界が広がっています。ブルノ旧市街の地下には、中世以来の地下通路や貯蔵庫、防空壕、納骨堂などが複雑に残されており、「地下都市」とも呼ばれる独特の空間を形成しています。
とくに有名なのが、Labyrinth under the Vegetable Market(野菜市場の地下迷宮)。旧市街中心部の「Zelný trh(野菜市場)」の地下には、中世から使われてきた地下室や通路が広がっています。かつてはワイン、食料、ビールなどを保存するための空間として利用され、暑い夏でも一定の温度を保てる“天然の冷蔵庫”のような役割を果たしていました。薄暗い石造りの通路を歩くと、まるで中世のブルノへ迷い込んだような感覚になります。
さらにブルノには、Brno Ossuary(ブルノ納骨堂)があります。これはヨーロッパでも有数の規模を持つ納骨堂で、長い歴史の中で埋葬された人々の遺骨が静かに安置されています。内部は厳粛で静かな空気に包まれており、単なる観光名所ではなく、“歴史と祈りの場所”として大切に守られています。
そして、Špilberk Castle の地下施設「カゼマット(Kasematy)」も忘れることはできません。厚い石壁に囲まれた空間には、要塞都市ブルノの記憶が今も残されています。静かな地下空間には、地上とは異なる緊張感と歴史の重みがあります。
カフェや音楽、学生文化で知られるブルノ。けれどその地下には、中世から続く“もうひとつの街”が広がっています。地上のにぎわいとは対照的な静寂の中で、歴史の時間を体感できる―それが地下都市ブルノの魅力です。ブルノは、空を見上げても美しい。けれど、地下へ降りてもまた魅力的な街なのです。

11.市場と広場
ブルノの旧市街を歩いていると、この街が“人の集まる街”であることを自然に感じます。その中心にあるのが、歴史ある広場と市場です。石畳の広場にはカフェのテラス席が並び、人々が語らい、待ち合わせをし、季節ごとのイベントを楽しむ――。ブルノの広場は、単なる観光スポットではなく、市民の日常そのものが息づく場所です。
ブルノ最大の中心広場が、Náměstí Svobody(自由広場)。中世から街の中心として栄えてきたこの場所には、歴史的建築と現代的なショップやカフェが自然に共存しています。昼には学生や観光客でにぎわい、夜にはライトアップされた街並みが美しい表情を見せます。クリスマスマーケットや音楽イベントなども開催され、季節ごとに異なる雰囲気を楽しむことができます。
もうひとつ欠かせないのが、Zelný trh(野菜市場)。中世から続くこの市場では、現在も野菜や果物、花などが並び、地元の人々の日常の買い物の場として親しまれています。観光地でありながら、“生活の匂い”がちゃんと残っている―それがブルノの市場の魅力です。周囲には歴史的建築や劇場、地下迷宮への入口もあり、歩くだけでもこの街の歴史を感じることができます。
ブルノの広場では、一年を通してさまざまなイベントが開かれます。春から夏にかけては屋外コンサートやフェスティバル、冬には中欧らしいクリスマスマーケット。温かな飲み物を片手に、人々がゆっくり時間を過ごす光景は、この街ならではの風景です。音楽都市ブルノらしく、広場に音楽が流れることも珍しくありません。歴史ある空間の中に、自然に文化が溶け込んでいます。
ブルノの広場には、「通り過ぎる場所」ではなく、「立ち止まりたくなる空気」があります。ベンチに座る人、カフェで語り合う人、市場を歩く人。そこには観光地というより、“街そのものの暮らし”があります。ブルノの魅力は、建物だけではなく、人々が集い、時間を共有する広場の空気にあるのかもしれません。

12.ブルノのドラゴン伝説
ブルノの街には、“ドラゴン”がいます。―そう聞くと、おとぎ話のようですが、これは今も街に残る本物の伝説です。
ブルノ旧市街の Old Town Hall(旧市庁舎)へ足を踏み入れると、天井から吊るされた不思議な生き物が目に入ります。それが「ブルノのドラゴン(Brněnský drak)」です。
実はこのドラゴン、正体はワニ。けれど中世ヨーロッパの人々にとって、遠い異国から運ばれてきたワニは未知の生き物でした。そのため、人々はそれを“ドラゴン”だと考えたのです。現在も旧市庁舎に展示されており、ブルノを代表するユニークなシンボルとして親しまれています。
このドラゴンには、こんな伝説があります。昔、ブルノ近郊に恐ろしい怪物が現れ、人々を困らせていました。そこである賢い人物が、石灰を詰めた動物の皮を食べさせて退治した―という物語です。もちろん伝説には諸説ありますが、こうした“街の物語”が今も語り継がれているのも、ブルノの魅力のひとつです。
ドラゴンがいる Old Town Hall は、ブルノ最古級の歴史的建築でもあります。
特徴的なのが、入口上部の少し曲がった装飾。これはブルノの有名な逸話のひとつとして知られています。中庭を抜けると塔へ登ることもでき、旧市街の美しい景色を一望できます。
ブルノでは、歴史と伝説がとても自然に共存しています。中世から続く街並みの中に、ドラゴンの物語が今も残り、人々に親しまれている。そんな少し不思議な感覚が、この街にはあります。ブルノを歩くと、ただ歴史を見るだけではなく、“物語の中を歩いている”ような気持ちになるのです。

13.世界遺産・トゥーゲントハット邸
ブルノには、中世の街並みや歴史的建築だけでなく、20世紀建築を代表する“近代建築の傑作”も存在します。それが、Villa Tugendhat(トゥーゲントハット邸)。ユネスコ世界遺産にも登録されている、ブルノを代表する建築のひとつです。
この邸宅が建てられたのは1930年。設計を手がけたのは、近代建築の巨匠
Ludwig Mies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)です。「Less is more(少ないことは豊かなこと)」という思想で知られる彼は、装飾を極力排し、空間そのものの美しさを追求しました。トゥーゲントハット邸は、その思想を象徴する作品として、世界の建築史に大きな影響を与えています。
この建築の特徴は、“開かれた空間”。大きなガラス窓から自然光が差し込み、室内と庭、そして街の景色が一体となるように設計されています。完成当時としては極めて先進的で、電動で上下する巨大ガラス窓や最新設備も導入されていました。シンプルでありながら圧倒的に美しい―。それがトゥーゲントハット邸の魅力です。
この家を建てたトゥーゲントハット一家はユダヤ系の実業家でした。しかし第二次世界大戦の時代の中で、家族はブルノを離れることになります。その後、この建物はさまざまな用途で使用されながらも保存され、現在では修復を経て一般公開されています。近代建築の名作であると同時に、20世紀ヨーロッパの歴史を静かに見つめてきた場所でもあります。
ブルノというと、中世の街並みや古城を思い浮かべる人も多いかもしれません。けれどこの街には、近代建築・デザイン・機能美といった“新しい時代の文化”も息づいています。歴史を守りながら、新しい価値も生み出してきた街―その象徴のひとつが、トゥーゲントハット邸なのです。
ブルノは、過去だけでなく“未来”もデザインしてきた街でした。

14.トラムの街
ブルノの街を歩いていると、赤と白のトラムが静かに走り抜けていきます。
歴史ある石畳の街並みの中を走るその姿は、ブルノの日常を象徴する風景のひとつです。ブルノでは、Brno public transport が市民の大切な移動手段として親しまれています。トラム、バス、トロリーバスが街中を細かく結び、車がなくても快適に生活できる“公共交通の街”として知られています。
とくに印象的なのがトラムです。中心部では、中世から続く旧市街のすぐそばをトラムが走り、歴史と現代の暮らしが自然に共存しています。観光客にとっては移動手段であると同時に、“ブルノらしい景色”そのもの。カフェの窓際から眺めるトラム、夕暮れの石畳を走る車両、雨上がりに光を反射する線路――そんな何気ない風景に、この街の魅力があります。
ブルノはチェコ有数の大学都市でもあり、多くの学生が日々トラムを利用しています。朝には通学する学生たち、昼には市場へ向かう人々、夜には劇場やカフェへ向かう人たち。トラムには、ブルノの暮らしそのものが流れています。また、深夜運行の路線も整備されており、音楽会やイベントのあとでも比較的移動しやすいのが特徴です。
歴史ある街並みが広がるブルノですが、交通システムはとても現代的です。
トラムの券売機では、Visa や Mastercard のタッチ決済に対応しているものも多く、現金がなくてもスムーズに利用できます。中世の街並みの中を最新型のトラムが走り、キャッシュレスで移動する―。そんな“歴史と現代が自然に共存する感覚”も、ブルノらしい魅力のひとつです。
ブルノのトラムは、派手な観光名所ではありません。けれど実際に乗ってみると、この街の空気がよくわかります。窓の外に流れる歴史的建築、静かな住宅街、広場に集う人々―。トラムに揺られているだけで、“暮らすように旅する感覚”を味わうことができます。
劇場、広場、大学、カフェ、そしてコンサートホール。ブルノの文化を支えているのは、人々の暮らしを静かにつなぐ公共交通でもあります。街の音楽や文化は、特別な場所だけではなく、こうした日常の移動の中にも息づいているのです。ブルノでは、トラムに乗ることそのものが、“街を感じる体験”になります。

15.マサリク大学
ブルノが「学生の街」と呼ばれる理由。その中心にある存在が、Masaryk University(マサリク大学/Masarykova univerzita)です。1919年、チェコスロヴァキア建国後まもなく設立されたこの大学は、現在ではチェコを代表する総合大学のひとつとして知られています。大学名は、チェコスロヴァキア初代大統領Tomáš Garrigue Masaryk(トマーシュ・ガリグ・マサリク)に由来しています。
ブルノには多くの大学や研究機関が集まり、人口に対する学生の割合が非常に高いことで知られています。そのため街には若いエネルギーがあり、カフェ、書店、劇場、音楽イベントなど、知的で文化的な空気が自然に広がっています。旧市街を歩いていると、ノートパソコンを開く学生、議論を交わす若者、多言語が飛び交うカフェ―そんな風景に出会います。“大学が街の一部”ではなく、“街そのものが大学都市”。それがブルノの大きな特徴です。
マサリク大学には、ヨーロッパ各国をはじめ、多くの留学生が学びに来ています。チェコの国立大学では、チェコ語課程であれば授業料が無料となる制度もあり、近年は「比較的学びやすいヨーロッパ留学先」としても注目されています。英語課程は有料ですが、西ヨーロッパ主要都市と比べると、ブルノは生活費が比較的抑えやすいことでも知られています。そのためブルノには、観光都市とは少し違う、“若い国際都市”の空気があります。
マサリク大学は、人文学から医学、自然科学まで幅広い分野を持つ総合大学です。とくに生命科学や情報科学などの研究でも知られ、ブルノは現在、中欧の研究都市としても注目されています。遺伝学の基礎を築いたGregor Mendel(グレゴール・メンデル)が研究を行った街であることもあり、ブルノには“知の伝統”が今も色濃く残っています。
ブルノは、歴史だけではなく、若い知性によって今も育ち続けている街なのです。

16.ルジャーンキ公園
ブルノ中心部のすぐ北側に広がるLužánky Park(ルジャーンキ公園)。18世紀後半に整備されたこの公園は、チェコ最古級の公共公園として知られ、現在も市民の憩いの場として親しまれています。観光名所というより、“ブルノの日常”を感じられる場所。だからこそ、この街の空気を最も自然に味わえるスポットのひとつです。
公園内には大きな木々が並び、季節ごとに異なる表情を見せます。春には若葉が広がり、夏には木陰で人々がくつろぎ、秋には黄金色の落ち葉が石畳を彩る―。派手さではなく、“静かな美しさ”があるのがLužánky Parkの魅力です。中欧の都市らしい整った並木道は、歩いているだけでもどこか映画のワンシーンのような雰囲気があります。
Lužánky Park 周辺にはカフェも多く、テイクアウトしたコーヒーを片手に公園で過ごす人々の姿も見られます。学生たちが芝生で語り合い、本を読み、犬を連れて散歩をする―。そこには、観光地化されすぎていないブルノならではの穏やかな空気があります。ブルノは「見る街」であると同時に、“過ごす街”でもあるのです。
この公園は、ただ景色を楽しむだけの場所ではありません。ジョギングコースやスポーツ施設もあり、市民が日常的に身体を動かす場所としても利用されています。近くには歴史あるサッカースタジアムFC Zbrojovka Brno の本拠地もあり、スポーツ文化とも深く結びついています。文化と芸術だけでなく、生活そのものが豊かな街―。Lužánky Park は、その象徴のような場所です。ブルノというと、ヤナーチェクや劇場、コンサートホールなど、“音楽都市”としての印象が強いかもしれません。けれどこの公園を歩いていると、街のもうひとつの顔が見えてきます。急ぎすぎず、自然と文化が近く、人々が自分の時間を大切にしている―。そんなブルノの穏やかなリズムが、この場所には流れています。
有名な観光地を巡るだけでは、その街の本当の空気はなかなか見えてきません。Lužánky Park には、ブルノに暮らす人々の自然な日常があります。だからこそ、この公園を歩くことは、“ブルノという街そのもの”を知ることなのかもしれません。歴史都市ブルノには、立ち止まって深呼吸したくなる緑の時間があります。

17.Brno Astronomical Clock
ブルノ中心部・自由広場(Náměstí Svobody)にある「Brno Astronomical Clock(ブルノ天文時計)」。
黒い弾丸のような独特な形から、初めて見た人が
「これ、本当に時計?」
と驚くことでも知られる、ブルノ屈指の有名スポットです。
この時計は、1645年にブルノがスウェーデン軍の包囲に耐えた歴史にちなんで作られたもの。
当時、スウェーデン軍は“正午までに陥落しなければ撤退する”とされていましたが、ブルノ側は一時間早い11時に鐘を鳴らし、敵軍を撤退させた―という逸話が残っています。
その歴史にちなみ、現在も毎日11時になると、時計からガラス玉が出てくる特別な仕掛けが行われています。
歴史的な街並みの中に突如現れる、前衛的なデザイン。
「伝統」と「現代」が共存するブルノらしさを感じられる場所です。
第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、音楽だけでなく、こうした個性的な文化や街の魅力が数多くあります

18.モラヴィア・ギャラリー
チェコ第2の都市・ブルノを代表する芸術文化施設のひとつが、「Moravian Gallery in Brno(モラヴィア・ギャラリー)」です。
1961年に複数の美術コレクションや施設を統合して設立された、チェコ国内でも有数の国立美術館で、美術・デザイン・建築・写真・映像など、幅広い分野を扱っています。
特徴的なのは、“ひとつの建物だけではない”こと。
ブルノ旧市街を中心に複数の歴史的建築に分かれており、街歩きそのものが芸術巡りになるような空間となっています。
主な施設には、
Pražák Palace(プラジャーク宮)
Governor’s Palace(総督館)
Museum of Applied Arts(応用美術館)
などがあり、それぞれ異なるテーマの展示を楽しむことができます。
また、建築家ドゥシャン・ユルコヴィチの世界を紹介する「Jurkovič House」も知られており、ブルノが“建築とデザインの街”であることを感じさせます。
モラヴィア・ギャラリーは、美術館であるだけでなく、中央ヨーロッパにおけるデザイン文化の発信地としても重要な存在です。
特に「ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ」は国際的にも高い評価を受けており、ブルノの文化的アイデンティティを支えるイベントのひとつとなっています。
そして興味深いのが、第3回チェコ演奏会の会場「Besední dům」との関係です。Besední dům と Pražák Palace は隣接して建てられており、どちらも19世紀の著名建築家テオフィル・ハンセンによって設計されました。音楽ホールと美術館が並ぶこのエリアは、ブルノを象徴する文化地区となっています。歴史的な街並みの中に、現代アートやモダンデザインが自然に溶け込んでいます。

19.レドゥータ劇場
ブルノ旧市街にある「Reduta Theatre(レドゥータ劇場)」は、中央ヨーロッパでも最も古い劇場のひとつとして知られています。
その歴史は17世紀にまで遡り、現在の建物は18世紀以降に整備されたもの。
長い年月の中で、ブルノの音楽・演劇文化を支えてきました。この劇場が特に有名なのは、幼少期のWolfgang Amadeus Mozartが演奏したという逸話が残されていることです。
現在では劇場内に「モーツァルト・ホール」も設けられており、ブルノの音楽史を象徴する場所のひとつとなっています。Reduta Theatre は、豪華絢爛な大劇場というよりも、ヨーロッパの歴史都市らしい“街に溶け込む劇場”。
石畳の旧市街を歩くと、自然にその姿が現れます。
また、この劇場は現在もオペラ、演劇、コンサートなどが行われる現役の文化施設。歴史と現代の芸術活動が共存しているのも、ブルノらしい魅力です。第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、Besední dům をはじめ、こうした長い音楽文化を持つ空間が数多く残されています。

20.Svíčková
チェコ料理を代表する伝統料理のひとつが、「Svíčková(スヴィーチュコヴァー)」です。やわらかく煮込まれた牛肉に、根菜の甘みと生クリームを使った濃厚なソース。
そして、チェコ料理には欠かせない「クネドリーキ(蒸しパンのような団子)」とともに味わう、まさに“中欧の家庭料理”とも言える一皿です。チェコでは非常に親しまれている料理で、祝祭や家族の集まりなど、特別な場面で食べられることも多い伝統料理。お店だけでなく、家庭ごとにレシピや味付けが異なるのも魅力です。
お店によって、
・根菜の甘みを強く感じるタイプ
・酸味を効かせたタイプ
・クリーミーで濃厚なタイプ
など個性があり、「家庭ごとに味が違う料理」とも言われています。
さらに伝統的には、
・レモン
・クランベリー
・生クリーム
を添えて提供されることも多く、甘み・酸味・コクが重なり合う、チェコらしい独特の味わいを楽しむことができます。ブルノでも非常に人気の高い定番料理で、歴史あるチェコ料理店では、それぞれの“店の味”を味わうことができます。
特に知られているのが、
・Stopkova Plzeňská Pivnice
伝統的なチェコ料理とビール文化を感じられる人気店。クラシックなチェコの雰囲気も魅力です。
・Hostinec U Semináru
落ち着いた空間で、本格的なチェコ家庭料理を味わえるレストラン。
・Pivnice U Čápa
地元でも親しまれているチェコ料理店。ブルノらしい温かい雰囲気があります。
そして近年は、“モダン・チェコ料理”も人気を集めています。その代表的なレストランのひとつが、Restaurant Pavillonで、歴史的な街並みの中にありながら、洗練されたモダン空間で、チェコ料理を現代的にアレンジしたメニューを楽しめる人気店です。伝統料理を大切にしながらも、美しい盛り付けや繊細な味わいで、“現代の中欧料理”を感じられるのもブルノの魅力。
また、ブルノが位置するモラヴィア地方は、チェコ有数のワイン産地としても知られています。レストランでは地元産ワインとともに料理を楽しめることも多く、食文化の豊かさを感じられます。音楽、美術、建築、そして食文化。第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、多彩な芸術文化と中欧の暮らしが息づいています

21.モラヴィア博物館
ブルノ中心部にある「Moravian Museum(モラヴィア博物館)」は、1817年に設立されたチェコ国内でも最も歴史ある博物館のひとつです。モラヴィア地方の歴史・文化・自然・音楽を総合的に紹介する博物館であり、“ブルノという街の文化そのもの”を知ることができる場所となっています。
特に音楽ファンにとって重要なのが、チェコを代表する作曲家Leoš Janáčekに関する充実した展示です。
ヤナーチェクは長年ブルノを拠点に活動し、モラヴィア民俗音楽やチェコ語の話し言葉のリズムを作品へ取り入れたことで知られています。
館内では、自筆譜、 手紙や創作メモ、 愛用品、 音楽資料などが展示され、独自の創作世界を知ることができます。
中でも興味深いのが、“会話の抑揚”を音楽として記録したメモ。
ヤナーチェクは、人々の日常会話のリズムやイントネーションを観察し、それを作曲へ活かそうとしていました。
また、Moravian Museum の魅力は音楽だけではありません。 モラヴィア地方の民族文化、自然史展示、中欧の歴史資料、科学・研究展示など、多彩な展示を通して、モラヴィア文化圏の豊かな歴史を感じることができます。
歴史ある建築と静かな展示空間には、ブルノらしい落ち着いた文化的空気が流れており、街歩きの中でも印象的なスポットのひとつです。
第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、音楽・歴史・芸術が息づく空間が数多く存在しています。

22.Erich Wolfgang Korngold と映画音楽
壮大なオーケストラサウンド。感情豊かな旋律。現代のハリウッド映画音楽の原点のひとつを築いた作曲家が、Erich Wolfgang Korngoldです。
コルンゴルトは1897年5月29日、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったブリュン(現在のチェコ共和国ブルノ)に生まれました。当時のブルノは、現在以上にウィーンとの結びつきが強く、中欧文化圏の重要都市として発展していた時代。ドイツ語文化、チェコ文化、ユダヤ文化などが交差し、音楽・建築・芸術が豊かに花開いていました。
コルンゴルトの父ユリウス・コルンゴルトは著名な音楽評論家であり、幼い頃から卓越した才能を示したエーリヒは、“モーツァルト以来の神童”とも呼ばれます。やがてウィーンで本格的に作曲を学び、10代のうちからオペラや管弦楽作品で高い評価を獲得。後期ロマン派の流れを受け継ぐ、豪華で色彩感あふれるオーケストレーションは、多くの音楽家を驚かせました。しかし1930年代、ヨーロッパ情勢の悪化とともにアメリカへ渡り、ハリウッド映画音楽の世界へ進出。ここでコルンゴルトは、映画音楽の歴史を大きく変えていきます。
代表作には、『海賊ブラッド』、『ロビンフッドの冒険』などがあり、アカデミー作曲賞も受賞。現在では当たり前となった、登場人物ごとの音楽テーマ(ライトモティーフ)、大編成オーケストラによるドラマ表現、シンフォニックで壮大なサウンドを映画音楽の世界で本格的に確立した先駆者のひとりとされています。
その影響は後の映画音楽にも非常に大きく、ジョン・ウィリアムズをはじめとする現代映画音楽にもつながっていると言われています。第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、Besední dům をはじめ、中欧文化圏の歴史と芸術が今も色濃く残されています。
クラシック音楽、オペラ、映画音楽―。
その境界を越えて広がる“中欧の芸術文化”を感じられることも、ブルノという街の大きな魅力です。

23.お菓子文化
チェコを旅すると、街角のカフェや菓子店に並ぶ色とりどりの伝統菓子が目を引きます。実はチェコのお菓子文化は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の中欧文化と深く結びついており、ウィーン菓子文化の影響も色濃く残っています。
代表的なお菓子には、
Větrník(ヴェトゥルニーク)
シュー生地を使ったキャラメル風味の伝統菓子
Věneček(ヴェネチェク)
リング状のシュー菓子
Koláč(コラーチ)
果物やケシの実、チーズなどをのせた焼き菓子
Perník(ペルニーク)
チェコ伝統のジンジャーブレッド
などがあります。
特に Koláč は、モラヴィア地方の家庭文化とも深く結びつく素朴なお菓子として知られています。 Redditでも「TrdelníkよりKoláčこそチェコらしい」という声が多く見られます。ブルノには、こうした中欧菓子文化を感じられる人気店も数多くあります。
例えば、
Momenta Cafe
Zelný trh(青空市場)近くの人気カフェ。現代的なブルノのカフェ文化を感じられるスポット。
SORRY – we bake differently
デザイン性の高いケーキや現代的スイーツで人気。若い世代にも支持されるブルノの人気店。
Les Fournils de France Brno
中欧とフランス菓子文化が交差するベーカリー。
Dezertína
洗練された現代スイーツで人気のパティスリー。
Sušenkárna Momenta
クッキー文化を楽しめる可愛らしいショップ。
また、ブルノには1937年創業の老舗カフェ・菓子店文化も残っています。
Zemanova kavárna a cukrárna は、戦前から続く機能主義建築の歴史的カフェとしても知られています。
クラシック音楽、カフェ文化、甘いお菓子―。
ブルノには、“中欧らしいゆったりした時間”が今も流れています。

24.Technical Museum in Brno
ブルノは、音楽や建築だけでなく、“科学と技術の街”としても発展してきた中欧都市です。19世紀から20世紀にかけて、ブルノはオーストリア=ハンガリー帝国を代表する工業都市のひとつとして成長しました。繊維産業、機械工業、技術研究が発展し、“モラヴィアのマンチェスター”と呼ばれた時代もあります。その歴史を今に伝えるのが、Technical Museum in Brnoです。
この博物館では、
蒸気機関車
自動車技術
航空機
通信技術
工業機械
中欧のものづくり文化
など、チェコおよび中欧工業史を幅広く紹介しています。
展示には、旧チェコスロヴァキア時代の技術資料や機械も多く含まれ、“東欧工業文化”の歴史を感じられるのも特徴です。また、ブルノでは1928年から大規模な見本市文化も発展しました。現在のBrno Exhibition Centreは、中欧を代表する展示会場のひとつとして知られています。この広大な複合施設には、機能主義建築の名作とされるパビリオン群も残されており、科学・産業・建築文化が融合した空間となっています。
さらに近年では、VIDA! Science Centerが人気を集めています。旧見本市パビリオンを活用した体験型科学館で、
物理実験
地球科学
宇宙展示
工学体験
などを、実際に触れながら学ぶことができます。
ブルノでは、音楽ホール、美術館、科学館、展示会場が街の中で自然につながっているのも特徴です。第3回チェコ演奏会の会場Besední důmもまた、こうした“芸術と技術が共存する都市文化”の中にあります。クラシック音楽だけではない、中欧の近代文化都市・ブルノ。街を歩くと、その多面的な魅力を感じることができます。

25.Milan Kundera
ブルノは、音楽家だけでなく、世界文学を代表する作家を生んだ街でもあります。そのひとりが、1929年にブルノで生まれたMilan Kunderaです。クンデラは20世紀を代表する作家のひとりとして知られ、その作品は世界各国で翻訳され、多くの読者に親しまれています。
代表作である、The Unbearable Lightness of Being(『存在の耐えられない軽さ』)は、1968年のチェコスロヴァキアを舞台に、愛、自由、記憶、そして歴史の中で生きる人間の姿を描いた傑作です。タイトルにもなっている「軽さ」と「重さ」は、この作品の重要なテーマです。
人生は一度しか生きることができない。
だからこそ人生は「軽い」のか。
それとも、愛や責任、故郷への思いが人生に「重さ」と意味を与えるのか。
クンデラは、登場人物たちの人生を通して、こうした普遍的な問いを読者に投げかけます。
実はクンデラと音楽との関わりも深く、父のLudvík Kunderaは著名な音楽学者・ピアニストでした。クンデラ自身も幼い頃から音楽教育を受けており、その影響は作品の構成にも見ることができます。
また、父ルドヴィークは、ブルノを代表する作曲家、Leoš Janáčekの流れをくむ音楽教育機関で重要な役職を務めるなど、ブルノの音楽文化とも深く結びついていました。
音楽、文学、思想―。
クンデラの作品からは、ブルノという街が育んできた豊かな知的・芸術的文化を感じることができます。
ヤナーチェク、コルンゴルト、そしてクンデラ。第3回チェコ演奏会で訪れるブルノは、多くの芸術家や文化人を生み出してきた、中欧を代表する文化都市のひとつです。

26.クリスマスマーケット
チェコの冬を彩る風物詩といえば、クリスマスマーケット。首都プラハのマーケットが有名ですが、実はブルノのクリスマスマーケットもチェコ国内屈指の人気を誇ります。11月下旬からクリスマスにかけて、ブルノ旧市街の広場は無数のイルミネーションに彩られ、街全体がまるでおとぎ話のような雰囲気に包まれます。
中心となるのは、
Freedom Square(自由広場)
Zelný trh(青果市場広場)
Dominican Square(ドミニコ広場)
など、旧市街の歴史ある広場です。
広場には木造の屋台が並び、
svařák(スヴァジャーク/ホットワイン)
medovina(メドヴィナ/蜂蜜酒)
プレッツェル
伝統的なクリスマスクッキー
チェコの焼き菓子
など、中欧ならではの味覚を楽しむことができます。
また、ブルノのクリスマスマーケットの魅力は「音楽」にもあります。
広場の特設ステージでは、
金管アンサンブル
弦楽アンサンブル
合唱団
クリスマスキャロル
などが演奏され、市民や観光客が足を止めて音楽を楽しみます。
クラシック音楽の国・チェコでは、クリスマスもまた“音楽の季節”。
街角から聞こえるブラスや合唱の響きは、モラヴィア地方の豊かな音楽文化を感じさせてくれます。
音楽、美しい街並み、温かな人々、そして冬の味覚。
クリスマスシーズンのブルノは、中欧文化の魅力が最も輝く季節のひとつです。第3回チェコ演奏会は9月開催ですが、演奏会をきっかけにブルノという街に興味を持った方は、ぜひ冬のブルノにも思いを馳せてみてください。

27.ヤナーチェク芸術アカデミー
チェコを代表する作曲家の名を冠した芸術大学が、ブルノ中心部にあるJanáček Academy of Performing Arts(JAMU:ヤナーチェク芸術アカデミー)。
1947年に設立されたチェコ有数の芸術大学で、音楽学部と演劇学部を擁しています。現在ではチェコ国内を代表する音楽・舞台芸術教育機関の一つとして、多くの演奏家、作曲家、指揮者、俳優、演出家を輩出しています。
しかし、そのルーツはさらに古く、ヤナーチェク自身が1881年に設立したオルガン学校や、その後のブルノ音楽院へとつながっています。ヤナーチェクは生涯を通じて「ブルノにも高等芸術教育機関を」という夢を抱き続け、その構想は彼の死後にJAMUとして実現しました。
JAMUは単なる大学ではありません。学生たちは日常的に演奏会やオペラ公演、演劇公演を行い、ブルノ市民の文化生活を支えています。また、国際的な「レオシュ・ヤナーチェク国際コンクール」も開催され、世界中から若い音楽家が集まります。
興味深いのは、ブルノが生んだ世界的作家、Milan Kunderaの父であり音楽学者・ピアニストでもあった、Ludvík Kunderaが、JAMU初期の運営に深く関わり、後に学長(学長職相当)を務めたことです。音楽と文学が交差するブルノらしいエピソードと言えるでしょう。
そして今回のPEO第3回チェコ演奏会・帰京公演で、指揮・ピアノ独奏を務める、薩摩研斗氏も、このJAMUで学んでいます。薩摩氏は、日本とチェコを結ぶさまざまな音楽活動にも参加し、ブルノを拠点に演奏活動を展開しています。今回のチェコ公演は、まさに薩摩氏が学び、音楽家として成長を続ける街で開催される特別な演奏会でもあります。
第3回チェコ演奏会の会場であるBesední důmからもほど近い場所にJAMUはあります。ヤナーチェクが夢見た音楽教育の精神は、100年以上経った今もブルノの街に息づいています。「音楽を学ぶ人が集まる街」それもまた、ブルノが“音楽都市”と呼ばれる理由のひとつなのです。

28.マヘン劇場
第3回チェコ演奏会の開催地・ブルノには、チェコを代表する歴史的劇場のひとつであるMahen Theatreがあります。
1882年に開場したこの劇場は、ネオ・ルネサンス様式の優雅な建築で知られ、現在もオペラ、バレエ、演劇の上演が行われるブルノ文化の中心的存在です。
実はこの劇場、世界の劇場史において特別な意味を持っています。
1882年11月、マヘン劇場は世界で初めてエジソン式白熱電球による全面電化照明を採用した劇場となりました💡
当時、多くの劇場ではガス灯が使われていましたが、火災の危険が大きな課題でした。マヘン劇場では約1,300個の電球を導入し、世界に先駆けて新しい舞台照明の時代を切り開いたのです。芸術と科学技術が結びついたブルノらしいエピソードと言えるでしょう。
また、この劇場はチェコを代表する作曲家Leoš Janáčekとも深い関わりがあります。ヤナーチェクはブルノを拠点に活動し、自身のオペラ作品の上演にもこの劇場が重要な役割を果たしました。現在も劇場前にはヤナーチェクの記念碑が置かれ、ブルノの音楽文化を象徴する場所となっています。劇場の名称は、20世紀チェコ文学を代表する作家Jiří Mahenにちなみ付けられました。
音楽、演劇、文学、そして最先端技術。マヘン劇場は、ブルノが単なる歴史都市ではなく、常に新しい文化を生み出してきた街であることを伝えてくれます。第3回チェコ演奏会の会場であるBesední důmからもほど近く、ブルノを訪れた際にはぜひ足を運びたい文化スポットのひとつです。

29.ブルノ動物園
歴史ある劇場や美術館、音楽ホールが並ぶ文化都市ブルノ。
そんなブルノには、市民に長く愛されている自然豊かな動物園もあります。
それが、Brno Zoo です。
1953年に開園したブルノ動物園は、ブルノ貯水池にほど近い丘陵地帯に位置し、広大な敷地の中で多くの動物たちが飼育されています。
特に人気なのが、
・ホッキョクグマ
・オオカミ
・ヨーロッパバイソン
・ワシ類などの猛禽類
といった、ヨーロッパや北方地域を代表する動物たちです。
チェコ国内でもホッキョクグマを飼育する数少ない動物園のひとつとして知られています。
また、ブルノ動物園の特徴は、できるだけ自然に近い環境で動物を展示していることです。
園内は丘の斜面を利用して整備されており、散策しながら動物たちを観察できます。市街地からそれほど遠くない場所にありながら、まるで森の中を歩いているような感覚を味わえるのも魅力です。
さらに園内からは、
・モラヴィアの森
・ブルノ貯水池
を望むことができ、チェコの自然の豊かさを感じることができます。
音楽都市として知られるブルノですが、市民の日常に目を向けると、このような自然や動物と触れ合える場所も大切にされています。
芸術、歴史、科学、そして自然。
さまざまな魅力が共存していることこそ、ブルノという街の面白さなのかもしれません。
第3回チェコ演奏会でブルノを訪れる機会があれば、歴史的なコンサートホールだけでなく、こうした市民に親しまれている場所にも足を延ばしてみたくなりますね。

30.ブルノ貯水池
ブルノと聞くと、音楽の街、歴史ある建築の街という印象を持つ方が多いかもしれません。しかし、ブルノ市民にとって欠かせない憩いの場のひとつが、Brno Reservoirです。
チェコ語では「Brněnská přehrada(ブルノ・ダム湖)」と呼ばれ、市街地の北西部に広がる美しい人造湖です。この貯水池は20世紀初頭に建設され、洪水対策や水資源の確保を目的として造られました。しかし現在では、ブルノを代表するレジャースポットとして市民や観光客に親しまれています。
湖畔には遊歩道やサイクリングロードが整備され、休日には散歩やジョギングを楽しむ人々で賑わいます。
また、湖では遊覧船が運航されており、水上からモラヴィアの豊かな自然を眺めることができます。特に人気なのが、湖の西端近くに建つ中世の古城Veveří Castleへの船旅です。森と湖に囲まれたこの城は、チェコ国内でも有数の規模を誇る古城で、多くの観光客が訪れます。さらに夏には湖畔で音楽イベントや花火大会が開催されることもあり、ブルノ市民の暮らしと文化に深く結びついています。
歴史的なコンサートホールや劇場だけでなく、自然の中で過ごす時間も大切にするブルノ。芸術と自然が調和するこの街の魅力は、こうした場所にも表れています。
ブルノを訪れる機会があれば、ぜひ街の中心部だけでなく、ブルノ貯水池にも足を延ばしてみてください湖面を渡る風や森の景色は、モラヴィアの豊かな自然を感じさせてくれることでしょう。

31.ヴェヴェジー城
ブルノ郊外の森と湖に囲まれた丘の上に、チェコ有数の規模を誇る古城があります。それが、Veveří Castleです。
13世紀頃に築かれたヴェヴェジー城は、ブルノの中心部から約15km。現在は市民や観光客に人気の観光スポットとなっています。
この城の最大の魅力は、その美しいロケーションです。
城はブルノ貯水池の西側を見下ろす高台に建ち、周囲には豊かな森が広がっています。湖上から眺める城の姿はまるで絵本の世界のようで、ブルノ近郊を代表する絶景として知られています。
中世には王家や貴族の居城として利用され、長い歴史の中で幾度も増改築が行われました。
そのため城内には、
・中世の要塞建築
・ゴシック様式
・ルネサンス様式
・バロック様式
など、さまざまな時代の建築様式を見ることができます。
また、この城にはチェコの歴史を語る上で欠かせない出来事も残されています。
1830年には、後にオーストリア皇帝となるFranz Joseph I
の両親がこの城で出会ったとも伝えられており、ハプスブルク家ゆかりの地としても知られています。
現在は一般公開されており、歴史展示の見学だけでなく、城壁からモラヴィアの森やブルノ貯水池を一望することができます。特に人気なのが、ブルノ貯水池から遊覧船で城を訪れるルートです。湖面を渡る風を感じながら中世の城へ向かう旅は、ブルノならではの体験と言えるでしょう。
音楽都市として知られるブルノですが、その魅力はコンサートホールや劇場だけではありません。
豊かな自然と長い歴史に育まれた文化の積み重ねこそが、今日のブルノを形作っています。

32.Brno Philharmonic
第3回チェコ演奏会の会場となる、Besední důmは、チェコを代表するオーケストラの一つであるBrno Philharmonicの本拠地として知られています。
ブルノ・フィルハーモニーの歴史は19世紀にまで遡り、その源流には若き日のヤナーチェクが設立に尽力したブルノの音楽活動があります。現在のオーケストラは1956年に創設され、チェコ国内のみならずヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界各地で演奏活動を行っています。
本拠地であるBesední důmは1873年に建設された歴史的ホールで、ヤナーチェク自身も指揮者やピアニストとしてこの場所で活動しました。今日でもブルノの音楽文化の中心として親しまれています。
そして今回の第3回チェコ演奏会では、ブルノ・フィルハーモニーで活躍されているヴァイオリン奏者、後藤博亮(Hiroaki Goto)さんにご協力いただく予定です。
後藤さんはブルノ・フィルハーモニー日本人奏者のお一人です。ブルノの音楽文化を支える現地オーケストラの奏者と、日本から訪れる私たちが同じ舞台に立てることは、大変貴重な機会です。
長い歴史を持つBesední důmとブルノ・フィルハーモニーが育んできた伝統、そして日本とチェコの音楽交流。第3回チェコ演奏会は、そうしたご縁の中で開催されます。

33.街の名前を冠したビール
チェコといえば、美しい街並みや豊かな音楽文化とともに、世界有数のビール大国としても知られています。そんなチェコ第2の都市ブルノには、街の名前を冠したビールがあります。それが、Starobrno(スタロブルノ) です。
「Starobrno」とはチェコ語で「旧ブルノ(Staré Brno)」を意味し、ブルノの人々にとって最も身近なビールブランドのひとつです。その歴史は19世紀にまで遡ります。1872年、ブルノ南部のスタレー・ブルノ地区に近代的な醸造所が設立されました。当時のブルノは繊維産業や機械工業によって急速に発展し、「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれる中欧有数の工業都市でした。人口の増加とともにビール需要も高まり、Starobrnoはブルノを代表する醸造所へと成長していきます。
現在でもブルノ市内のレストランやパブではStarobrnoが広く提供されており、多くの市民にとって日常の一杯として親しまれています。
興味深いのは、チェコにおけるビールが単なる飲み物ではないということです。パブやビアホールは、人々が集い、語り合い、文化や芸術について意見を交わす社交の場でもありました。
19世紀から20世紀初頭にかけて、ブルノでは音楽家や文学者、芸術家たちがカフェやビアホールに集まり、新しい芸術や文化について語り合いました。
ブルノゆかりの作曲家レオシュ・ヤナーチェクが活躍した時代も、こうした市民文化が街を支えていました。
コンサートホールで音楽を楽しむ人々。ビアホールで語り合う人々。そのどちらもが、今日のブルノという街の文化を育んできました。ブルノを歩くと、歴史的な劇場や美術館だけでなく、多くのパブやレストランで「Starobrno」の名前を見かけます。それは、この街の日常と歴史が詰まった、まさに「ブルノの味」と言える存在なのかもしれません。

34.メンデル大学附属植物園・樹木園
歴史ある劇場やコンサートホール、美術館が並ぶ文化都市ブルノ。
そんな街には、市民に長く親しまれている緑豊かな植物園があります。
それが、メンデル大学附属植物園・樹木園です。
この植物園は1938年に開園し、現在では約11ヘクタールの広大な敷地を有するブルノ有数の緑地となっています。もともとは林学や農学の教育・研究のために整備されましたが、現在では市民や観光客にも開放され、憩いの場として親しまれています。
園内には約13,000種類もの植物が栽培されており、チェコ国内でも有数の規模を誇ります。
特に有名なのが温室に収蔵されたラン(オーキッド)のコレクションです。ヨーロッパでも有数の規模とされ、多彩な色彩と形を持つランの花々を一年を通して楽しむことができます。
また、アヤメ(アイリス)のコレクションや高山植物の展示、樹木園エリアなども見どころのひとつです。
園内を歩くと、季節ごとに異なる花々や樹木が彩りを見せ、まるで自然の中の美術館を散策しているかのような気分を味わえます。
ブルノは「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれた工業都市として発展してきましたが、その一方で緑豊かな公園や庭園を大切に守り続けてきました。
歴史ある旧市街やコンサートホール、美術館、そして植物園が自然に共存していることも、この街の大きな魅力です。
私たちが第3回チェコ演奏会を開催する歴史的ホール「Besední dům」からもそれほど遠くなく、ブルノの文化と自然の両方を感じられる場所のひとつとなっています。
音楽や芸術を育んできた街には、人々が心を休める自然もあります。
芸術、歴史、科学、そして自然。
さまざまな魅力が共存していることこそ、ブルノという街の奥深さなのかもしれません。

35.ポケットの中のブルノ ― 10コルナ硬貨
ブルノの風景は、実はチェコの人々のポケットの中にも存在しています。
現在チェコ共和国で使われている10コルナ硬貨。
その裏面に描かれているのは、ブルノのシンボルである聖ペテロ・聖パウロ大聖堂です。
街を見下ろすペトロフの丘に建つこの大聖堂は、ブルノを代表する景観として親しまれています。
旅行者はブルノを訪れなければこの景色を見ることができませんが、チェコの人々は日々の買い物や通勤のなかで、この「ブルノの風景」を手にしています。
歴史ある建築や音楽ホールだけでなく、毎日使われるコインにも街の象徴が刻まれている。
それだけブルノがチェコを代表する都市のひとつであることが分かります。
第3回チェコ演奏会でブルノを訪れる際には、ぜひ財布の中の10コルナ硬貨にも注目してみてください。
そこには、私たちが演奏する街のシンボルが描かれています。

36.Ignis Brunensis
音楽都市、歴史都市として知られるブルノ。
実はこの街は、ヨーロッパ有数の国際花火フェスティバルの開催地としても知られています。
それが、イグニス・ブルネンシスです。
ラテン語で「ブルノの炎」を意味するこの祭典は、1998年に始まり、現在ではチェコを代表する国際イベントのひとつとなっています。
毎年初夏になると、世界各国の花火チームがブルノに集まり、技術と芸術性を競い合います。
主な会場となるのは、ブルノ市民の憩いの場であるブルノ貯水池。
広大な湖面を舞台に打ち上げられる花火は、水面に美しく反射し、幻想的な景色を生み出します。
また、ブルノのシンボルであるシュピルベルク城周辺でも関連イベントが行われ、歴史的な街並みと花火が織りなす光景は、多くの人々を魅了しています。
近年ではドローンショーや音楽とのコラボレーションも取り入れられ、伝統的な花火大会の枠を超えた総合エンターテインメントへと発展しています。
歴史ある城や大聖堂が見守る夜空に広がる光の芸術。
その姿は、音楽や建築、歴史が共存するブルノという街の魅力を象徴しているかのようです。
第3回チェコ演奏会で訪れるブルノ。
音楽、歴史、自然、そして光。
さまざまな文化が調和するブルノの魅力を、これからもご紹介していきます。

37.Kaiser Ferdinands-Nordbahn
今日のブルノを形づくった出来事のひとつが1839年にありました。
それが、Kaiser Ferdinands-Nordbahn(皇帝フェルディナント北方鉄道)の開通です。
この鉄道は、オーストリア帝国時代に建設されたヨーロッパ大陸初期の本格的な鉄道路線のひとつで、ウィーンとブルノを結びました。
当時の移動手段は主に馬車でした。人や物資の輸送には多くの時間と労力が必要でしたが、鉄道の登場によって状況は一変します。蒸気機関車が人々を運び、工場の製品を運び、そして新しい技術や文化を運びました。
ブルノはこの鉄道によって帝国の中心都市ウィーンと強く結ばれ、急速な発展を遂げます。繊維産業をはじめとする工業が成長し、やがてブルノはモラヴィアのマンチェスターと呼ばれるほどの工業都市となりました。
そして鉄道が運んだのは、産業だけではありません。音楽家や芸術家、学者たちもまた、この路線を利用してブルノを訪れました。19世紀後半、Besední důmが建設され、市民による音楽活動が盛んになった背景にも、鉄道によって広がった人と文化の交流がありました。
現在でもブルノ中央駅には多くの列車が発着し、ウィーンやプラハ、ブラチスラヴァなど中欧の主要都市と結ばれています。約190年前に開通した一本の鉄道。それは単なる交通手段ではなく、ブルノを近代都市へと導いた大きな原動力でした。

38.Masaryk Circuit
音楽都市ブルノ。ヤナーチェクが活躍し、ブルノ・フィルハーモニーが本拠地を置き、私たちが演奏会を開催するBesední důmが建つ街として知られています。しかしブルノには、世界中のモータースポーツファンが憧れる場所もあります。それが、Masaryk Circuit(マサリク・サーキット)です。
ブルノ郊外に位置するこのサーキットは、チェコを代表するモータースポーツの聖地として知られています。その歴史は1930年代にまでさかのぼり、当初は一般道路を利用した長大なコースでレースが行われていました。
現在の常設サーキットは1987年に完成し、その後はMotoGPや世界スーパーバイク選手権など、世界最高峰のレースが開催されてきました。高速コーナーと高低差に富んだレイアウトは世界中のライダーから高く評価され、「走ることが楽しいサーキット」として知られています。
サーキット名の「マサリク」は、チェコスロヴァキア初代大統領トマーシュ・ガリグ・マサリクに由来しています。つまり、この場所は単なるスポーツ施設ではなく、チェコの近代史とも結びついた存在なのです。
歴史あるコンサートホールで音楽が響く街。世界最高峰のライダーたちがエンジンを響かせる街。一見すると対照的な文化ですが、芸術とスポーツの両方を大切にしてきたこともブルノの魅力のひとつです。私たちが訪れるブルノは、音楽だけでは語り尽くせない多彩な顔を持っています。
ヤナーチェクの旋律が流れる街並みのすぐ近くには、世界中のモータースポーツファンを魅了してきたサーキットがある。そんな意外な一面もまた、ブルノという街の面白さなのかもしれません。

39.ブルノ天文台
ブルノ市内の丘の上に建つBrno Observatory and Planetarium(ブルノ天文台・プラネタリウム)は、チェコを代表する天文教育施設のひとつとして知られています。その歴史は1954年に始まりました。
以来、子どもから大人まで多くの人々が宇宙や科学に親しむ場として発展し、現在では最新のデジタル映像技術を活用したプラネタリウムも備えています。天文台が建つ丘からはブルノの街並みを見渡すことができ、昼は歴史ある街の景観を、夜は星空を楽しむことができます。
中世の城や教会が残る街でありながら、最先端の科学文化にも触れられる。
そんなところにもブルノらしさがあります。また、天文学と音楽には不思議な共通点があります。どちらも人間の想像力を広げ、目に見えない世界を表現しようとする営みです。
作曲家が音によって宇宙や自然の美しさを描こうとしたように、天文学者たちは望遠鏡を通して宇宙の謎に挑み続けてきました。芸術と科学。一見異なる世界に見えますが、どちらも「世界をもっと知りたい」という人間の知的好奇心から生まれた文化です。
私たちが第3回チェコ演奏会で訪れるブルノは、音楽や歴史だけでなく、こうした科学への探究心も育んできました。歴史的なコンサートホールで音楽に耳を傾ける。そして夜には星空を見上げる。そんな時間を楽しめることも、ブルノという街の魅力なのかもしれません。

40.HC Kometa Brno
ブルノには、コンサートホールに集まる観客にも負けないほどの熱気に包まれる場所があります。
それが、HC Kometa Brno(HCコメタ・ブルノ)です。
1953年に創設されたHC Kometa Brnoは、チェコを代表するアイスホッケークラブのひとつとして知られています。
チェコではアイスホッケーは国民的人気スポーツであり、世界選手権やオリンピックでは常に上位を争う強豪国として知られています。その中でもコメタ・ブルノは特別な存在です。クラブはチェコスロヴァキア時代から数多くのタイトルを獲得し、現在も国内トップリーグで活躍を続けています。
試合の日になるとホームアリーナには多くのファンが集まり、青と白のチームカラーに染まったスタンドから大きな声援が送られます。その熱狂ぶりは、まさにブルノ市民の誇りそのものです。
一方で、ブルノは音楽や芸術の街でもあります。歴史あるコンサートホールでオーケストラの響きに耳を傾ける人々と、アリーナでチームを応援する人々。その姿は異なって見えても、どちらにも共通しているのは、自分たちの街を愛し、文化を大切にする気持ちです。音楽とスポーツ。静寂の中で生まれる感動と、歓声の中で生まれる興奮。その両方が共存していることも、ブルノという街の魅力のひとつなのかもしれません。
私たちが第3回チェコ演奏会で訪れるブルノには、美しい音楽文化だけでなく、市民が心をひとつにして応援するスポーツ文化も息づいています。氷上に響く歓声もまた、この街を彩る大切な「ブルノの音」なのです。
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41.Brno Airport
人口約40万人のブルノは、長年にわたり中欧有数の産業都市として発展してきた歴史にあります。19世紀、ブルノは繊維産業や機械工業の中心地として急成長し、「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれるようになりました。1928年にはブルノ見本市会場が開設され、世界各国から企業や技術者が集まる国際都市へと発展していきます。
そうした中で、鉄道だけではなく航空網の整備も求められるようになりました。1926年、ブルノは定期航空路線によってプラハと結ばれます。
当時、飛行機はまだ一部の人しか利用できない最先端の乗り物でした。
それでもブルノは航空時代の到来を見据え、チェコスロヴァキアの主要都市として空とのつながりを築いていきました。
現在のBrno Airportは市中心部から約8kmの場所に位置しています。大規模なハブ空港ではありませんが、南モラヴィア地方の玄関口として重要な役割を担っています。実はこの空港の魅力は、その規模ではありません。滑走路の周囲にはモラヴィアのなだらかな丘陵地帯が広がり、都市と自然が近いブルノらしい景観を見ることができます。
また、ブルノはチェコ第2の都市でありながら、どこか落ち着いた雰囲気を持っています。空港も同様で、大都市の巨大空港とは異なる親しみやすさがあります。世界へ開かれながらも、地域に根ざした空港。それがBrno Airportです。音楽が国境を越えて人々を結ぶように、空港もまた世界とブルノを結ぶ架け橋です。
チェコの空を見上げると、その先には音楽、歴史、産業、学術など、多彩な魅力を持つブルノの姿が広がっています。

42.Brno Manhole Covers
ブルノの街を歩いていると、思わず見上げてしまうのは歴史ある教会や美しい建築物。でも、ときには少しだけ足元にも目を向けてみてください。
そこには、街の歴史を静かに支えてきたマンホールがあります。ヨーロッパの都市では、マンホールのふたは単なるインフラではなく、その街の歴史や産業を映し出す存在です。
ブルノでも、市内には鋳鉄製の重厚なマンホールが数多く残されており、「Brno」や水道・下水道事業者の名称、製造メーカーの刻印を見ることができます。長い年月を経て磨かれた鋳鉄の表面には、何世代もの市民や旅行者が歩いてきた時間が刻まれています。
1839年に鉄道が開通し、「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれる工業都市へと発展したブルノ。地下には水道や下水道、ガス、通信など、都市の暮らしを支えるネットワークが張り巡らされています。その入口となるマンホールは、普段は意識することのない「街を支える縁の下の力持ち」です。
美しいコンサートホールも、歴史ある広場も、こうした都市インフラがあってこそ守られてきました。石畳の下にも、多くの人々の暮らしを支える仕組みが今も息づいています。旅先では、有名な観光名所だけでなく、ぜひ足元にも目を向けてみてください。
そこには、その街ならではの歴史と文化が静かに刻まれています。ブルノの魅力は、見上げる景色だけではありません。何気なく歩くその一歩にも、この街の物語が隠されているのです。

43.Alfons Mucha
「アール・ヌーヴォーの巨匠」として世界中で愛されるAlphonse Mucha。
実は、その才能を育んだ原点の一つが、私たちが第3回チェコ演奏会で訪れるブルノでした。
1860年、ブルノ近郊のイヴァンチツェに生まれたミュシャは、12歳のとき、歌の才能を認められ、ブルノのペトロフ大聖堂の聖歌隊員となります。聖歌隊の奨学金を受けながら、スラヴ中等学校(Slovanské gymnázium)で学びました。
そして、このブルノで若き日のLeoš Janáčekと出会います。当時、ヤナーチェクは聖歌隊の副指揮者として音楽教育に携わっており、後にチェコ音楽を代表する作曲家となります。一方のミュシャは、美術の道へ進み、やがてパリで世界的な成功を収めました。二人は異なる分野へ進みながらも、モラヴィアの文化と精神を世界へ伝えた芸術家となったのです。ミュシャは後年、「絵画」「教会」「音楽」は切り離せない存在だったと語っています。
幼い頃にブルノで歌い、学び、芸術に触れた日々は、その後の作品に流れる精神性や美意識の礎となりました。ブルノは、ヤナーチェクの音楽を育み、ミュシャの感性を磨いた街。音楽と美術という二つの芸術が交差したこの街だからこそ、今も多くの人々を魅了し続けています。
私たちが訪れるブルノでは、コンサートホールだけでなく、ミュシャが青春時代を過ごした街並みにも、ぜひ思いを馳せてみてください。

44.ブルノの市章に秘められた800年の歴史
ブルノの街を歩いていると、市庁舎や公共施設、マンホール、案内板など、さまざまな場所で目にする紋章があります。それが、ブルノ市のシンボルである「市章(Coat of Arms)」です。
現在の市章は、赤と銀(白)の4本の横帯が描かれたシンプルなデザイン。その起源は13世紀にまでさかのぼり、1315年の市の印章にもすでに同じ意匠が確認されています。約700年以上にわたり、ブルノの象徴として受け継がれてきました。
実は、この赤と銀の横帯の由来には明確な記録が残されておらず、現在も謎に包まれています。一説には、ブルノを流れるスヴラトカ川とスヴィタヴァ川を表しているともいわれていますが、確かな証拠はありません。こうした「語り継がれる謎」もまた、この市章の魅力の一つです。
17世紀には、スウェーデン軍の包囲戦から街を守り抜いた功績をたたえられ、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世から鷲をあしらった華やかな紋章が授けられました。しかし20世紀になると、現在のシンプルな赤と銀の市章へと戻され、今日まで親しまれています。
シンプルだからこそ、何世紀にもわたり街の誇りを伝え続けてきたブルノの市章。ブルノを訪れた際は、ぜひ市庁舎や歴史的建築、そして街角のマンホールなどにも注目してみてください。何気なく目にする紋章の中にも、この街が歩んできた長い歴史が息づいています。

45.曲がった尖塔 ― 建築家のささやかな復讐
ブルノ旧市街の中心に建つ旧市庁舎(Old Town Hall)。その美しい後期ゴシック様式の門を見上げると、中央の尖塔だけがわずかに曲がっていることに気づきます。
500年以上にわたり人々の目を引き続けてきたこの不思議な尖塔には、ブルノを代表する伝説が残されています。門を設計した建築家アントン・ピルグラムは、完成後に約束された報酬を十分に受け取れなかったといわれています。
そこで彼は最後の仕上げとして、中央の尖塔だけをあえて曲げ、「約束を守らなかった市政のあり方」を後世へ伝えるためのメッセージを残した――。
これが、現在まで語り継がれる「曲がった尖塔」の伝説です。ブルノ市観光局(TIC BRNO)も、このエピソードを旧市庁舎に伝わる代表的な伝説として紹介しています。
一方で、この出来事を裏付ける歴史資料は確認されておらず、あくまでも伝説です。実際には、後期ゴシック建築の意匠として意図的にデザインされたという見方もあり、TIC BRNOの別の解説では、その独特な造形は自然を取り入れた後期ゴシック様式の表現とも説明されています。
真実がどちらであったとしても、この尖塔は今やブルノを象徴する存在です。
ドラゴン、木の車輪、11時に鳴る鐘──。ブルノには、歴史と伝説が美しく溶け合いながら受け継がれてきた物語が数多く残されています。私たちが第3回チェコ演奏会で訪れるブルノでは、ぜひ旧市庁舎の門を見上げてみてください。
ほんの少しだけ傾いた尖塔は、建築家の誇りを語る物語なのか、それとも芸術的な遊び心なのか。その答えを想像するのも、ブルノの街歩きの楽しみの一つです。

46.共和国クリスマスツリー
冬のブルノを歩くと、美しく飾られたクリスマスツリーが街を彩ります。実は、この風景にはブルノから始まった心温まる物語があります。
1919年のクリスマス前、ブルノの作家ルドルフ・テスノフリージェク(Rudolf Těsnohlídek)は、森で寒さに震える幼い少女を保護しました。この出来事をきっかけに、「困っている子どもたちを社会全体で支えたい」と考えた彼は、1924年、ブルノの自由広場(Náměstí Svobody)に大きなクリスマスツリーを設置し、市民から寄付を募る活動を始めました。
このツリーは「共和国クリスマスツリー(Vánoční strom republiky)」と名付けられ、多くの市民の共感を呼びました。その後、この取り組みはチェコスロバキア各地へ広がり、クリスマスツリーの前で募金活動を行う文化として受け継がれていきます。現在でもブルノのクリスマスマーケットはチェコ有数の人気を誇り、毎年多くの人々がこの街を訪れます。街を彩るイルミネーションやクリスマスツリーは、美しい景色であると同時に、「誰かを思いやる心」から始まった100年以上の物語を今に伝えています。
音楽もまた、人と人の心を結びつけるものです。
私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、歴史ある街並みとともに、この街に息づく「人を思いやる文化」にも、ぜひ触れてみてください。

47.ブルノだけで話される「ハンテツ」とは?
チェコ語にも「方言」があることをご存じでしょうか。
実はブルノには、「ハンテツ(Hantec)」と呼ばれる、この街ならではの独特な話し言葉があります。
ハンテツは、19世紀から20世紀初頭にかけてブルノで生まれた都市方言です。当時のブルノは、チェコ語を話す人々だけでなく、ドイツ語、イディッシュ語、ロマ語など、さまざまな文化が交わる国際都市でした。そうした多様な言葉が混ざり合い、自然に生まれたのがハンテツです。
ブルノを代表するハンテツの言葉が、路面電車を意味する「šalina(シャリナ)」です。この言葉は、ドイツ語の Elektrische Linie(電車路線)が語源になったと考えられており、現在でもブルノでは日常的に使われています。
標準チェコ語が広く使われる現在でも、ハンテツはブルノ市民のアイデンティティの一つとして大切に受け継がれています。街角のお店やイベント、お土産などで見かけることも多く、ブルノならではの文化として親しまれています。
音楽も言葉も、その土地で育まれる文化です。
第3回チェコ演奏会でブルノを訪れた際には、美しい街並みだけでなく、人々の会話にもぜひ耳を傾けてみてください。
もしかすると、「Šalina」という言葉が聞こえてくるかもしれません。

48.Draci Brno(ドラツィ・ブルノ)
チェコといえば、アイスホッケーやサッカーを思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし実は、ブルノはチェコ野球を代表する街でもあります。
ブルノを本拠地とする「Draci Brno(ドラツィ・ブルノ)」は、チェコ・エクストラリーガで数多くの優勝を誇る名門クラブ。国内外の代表選手を数多く輩出し、チェコ野球の発展を支えてきました。
そして2026年、この名門クラブに日本プロ野球・千葉ロッテマリーンズで16年間プレーした荻野貴司選手が加入しました。
日本球界で長年活躍した選手がブルノで新たな挑戦を始めたことは、日本とチェコのスポーツ交流を象徴する出来事として大きな話題となりました。
2023年のWBCでチェコ代表のひたむきなプレーに多くの日本人が感動したように、野球は今、両国をつなぐ大切な架け橋の一つになっています。
音楽もスポーツも、国境を越えて人と人を結びつける力があります。私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、「音楽の街」としてだけでなく、「チェコ野球を支える街」というもう一つの魅力にもぜひ注目してみてください。

49.映画の舞台となる街
ブルノの街を歩いていると、「まるで映画のワンシーンのようだ」と感じることがあります。
実はブルノは、歴史ある街並みや近代建築、多彩なロケーションを生かし、数多くの映画や映像作品の撮影地として利用されてきました。
例えば、映画『Hannibal Rising(ハンニバル・ライジング)』や、ヴィン・ディーゼル主演のSF映画『Babylon A.D.』、Netflix映画『Blood Red Sky』などでは、ブルノやその周辺で撮影が行われています。
また、ゲームの世界にもブルノの風景は登場しています。人気ゲーム『Mafia II』では、ブルノのランドマークの一つである「Red Church(赤い教会)」がデザインのモデルになったといわれています。
映画やゲームは、その街の魅力を世界へ伝える文化の一つ。
そして音楽もまた、国や言葉を越えて人々の心を結びつける芸術です。
私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、美しい街並みを眺めながら、「この場所も映画やゲームの世界につながっているのかもしれない」と想像してみてください。きっと、街歩きがさらに楽しくなるはずです。

50.地下に広がる神秘の世界
ブルノの魅力は、美しい街並みだけではありません。
街から北へ約30km足を延ばすと、ヨーロッパ有数の鍾乳洞地帯「モラヴィア・カルスト(Moravian Karst)」が広がっています。
約1,100を超える洞窟が確認されており、そのうち一般公開されているのはわずか数か所。長い年月をかけて自然が創り上げた幻想的な地下世界は、多くの人々を魅了しています。
中でも最も有名なのが、「マツォハ峡谷(Macocha Abyss)」です。
深さ約138メートルの巨大な陥没穴は、チェコを代表する景勝地の一つとして知られています。
さらに、鍾乳洞の内部では地下河川をボートで進むことができ、地上とはまったく異なる静寂と神秘に包まれた世界を体験できます。
この地域には数多くのコウモリも生息しており、豊かな自然環境が今も大切に守られています。
歴史や文化だけでなく、雄大な自然にも恵まれていることも、ブルノの大きな魅力です。
音楽もまた、自然から多くのインスピレーションを受けてきました。
私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、街歩きだけでなく、地下に広がる神秘の世界にもぜひ足を運んでみてください。きっと、忘れられない体験になることでしょう。

51.ヴィラ・スティアスニ
ブルノの近代建築といえば、世界遺産「トゥーゲントハット邸」を思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、この街にはもう一つ、ぜひ訪れていただきたい名建築があります。
それが「ヴィラ・スティアスニ(Villa Stiassni)」です。
1929年、ブルノの実業家アルフレート・スティアスニの邸宅として建てられたこの建物は、建築家エルンスト・ヴィースナーによって設計されました。
白を基調とした端正な外観と、機能性を重視した洗練されたデザインは、20世紀初頭に広まった機能主義建築を代表する作品の一つとされています。
広々とした庭園には季節の花々や木々が美しく植えられ、建物と自然が調和する穏やかな空間が広がっています。
第二次世界大戦後は国有化され、政府関係者の迎賓施設として利用された時代もありました。現在は一般公開され、ブルノの建築文化を今に伝える貴重な文化財となっています。
世界遺産だけではない、ブルノに息づく近代建築の魅力。
街を歩けば、歴史とデザインが美しく調和した景色に出会うことができます。

52.Brno and Olomoucké Tvarůžky
チェコといえばビールやワインを思い浮かべる方が多いかもしれません。
実は、チェコには世界でも珍しい伝統的な熟成チーズがあります。その名は「オロモウツ・トヴァルージュキ(Olomoucké tvarůžky)」。
15世紀頃にはすでに食べられていたとされる歴史あるチーズで、現在もモラヴィア地方・ロシュチツェ(Loštice)の伝統製法で作られています。
最大の特徴は、その強烈な香り。初めて口にする人は驚くほど個性的な香りですが、ひと口食べると、ほどよい塩味と深い旨味が広がります。
しかも、脂肪分が非常に少なく、高たんぱくでヘルシーなチーズとしても知られています。
ブルノでは、ワインバーやビアレストランで提供されることも多く、モラヴィア産ワインやチェコビールとの相性は抜群です。
地元の人々にとっては、長年親しまれてきた郷土の味であり、モラヴィア地方を代表する食文化の一つとなっています。
旅先でその土地ならではの味に出会うことも、大きな楽しみの一つ。
私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、美しい街並みや音楽とともに、モラヴィア地方が誇る「香るチーズ」にもぜひ挑戦してみてください。忘れられない味と思い出になるかもしれません。

53.Brno and Football
ブルノは、「音楽の街」「学生の街」として知られていますが、実はサッカーへの情熱も非常に熱い街です。
ブルノを代表するクラブは、1913年創設の FC Zbrojovka Brno。現在まで110年以上の歴史を持つ、チェコ屈指の伝統あるクラブです。クラブは「SK Židenice」として誕生し、その後「Zbrojovka Brno」の名で多くの人々に親しまれるようになりました。
クラブ名の「Zbrojovka」は、かつてブルノにあった兵器メーカー「Zbrojovka Brno」に由来しており、工業都市として発展してきたブルノの歴史とも深く結び付いています。
クラブは1977-78シーズンに旧チェコスロバキア1部リーグで優勝を果たし、国内屈指の名門として歴史を刻んできました。また、ヨーロッパの大会にも出場し、多くの名勝負を繰り広げています。
現在のホームスタジアムは、2001年から使用している「ShipEx Arena(Městský fotbalový stadion Srbská)」。試合の日には、熱心なサポーターの応援がスタジアムを包み込み、ブルノの街はサッカーへの情熱にあふれます。
音楽が人々の心を一つにするように、スポーツもまた、世代や国境を越えて人々を結びつける力を持っています。
ブルノを訪れた際には、美しい街並みや歴史だけでなく、市民に愛され続けるサッカー文化にもぜひ触れてみてください。

54.Kino Lucerna(ルツェルナ映画館)
ブルノは「音楽の街」として知られていますが、実は映画文化も100年以上の歴史を誇ります。
ブルノで現在も営業を続ける最も歴史ある映画館の一つが、Kino Lucerna(ルツェルナ映画館)です。
その歴史は1913年に始まり、第一次世界大戦前から市民に映画を届け続けてきました。100年以上の時を経た今も、地域に根ざした映画館として親しまれています。
また、ブルノを代表する映画館として知られるUniversity Cinema Scala(スカラ映画館)も、1929年に「Bio Dopz」として開館し、長年にわたり市民に愛されてきました。現在はMasaryk Universityが運営に携わる「大学映画館」として、映画上映だけでなく講演会や文化イベントの会場としても活用されています。
ブルノでは20世紀前半から映画文化が大きく発展し、最盛期には市内各地に数多くの映画館がありました。映画は人々の娯楽であると同時に、文化や芸術に触れる大切な場でもあったのです。
クラシック音楽、演劇、そして映画。
ブルノは、さまざまな芸術が人々の日常に溶け込む文化都市として発展してきました。
私たちPEOも、第3回チェコ演奏会を通して、日本とチェコを音楽で結ぶ架け橋となれるよう、心を込めて演奏をお届けします。
ブルノを訪れた際には、美しい街並みだけでなく、100年以上受け継がれてきた映画文化にもぜひ触れてみてください。

55.モダン都市へと変貌したブルノ
918年、チェコスロバキア共和国が誕生すると、ブルノは新しい時代を迎えました。
産業、教育、文化、そして建築。第一次世界大戦後のブルノでは、より近代的で快適な都市をつくるため、さまざまな取り組みが進められました。
その時代を象徴する建築の一つが、ザーブルドヴィツェ地区に建設された「Městské lázně v Zábrdovicích(ザーブルドヴィツェ市営浴場)」です。この市営浴場は、建築家ボフスラフ・フクス(Bohuslav Fuchs)の設計によって1931年に着工され、1932年6月に完成しました。
当時のブルノでは、浴室を備えた住宅はまだ少なく、市民が日常の衛生のために公共浴場を利用することも珍しくありませんでした。そこでつくられたザーブルドヴィツェ市営浴場は、単なる入浴施設ではありませんでした。冬季に利用する浴場と、夏季に利用する屋外施設を備え、シャワーや浴槽、プールだけでなく、休憩室、マッサージ室、理髪店・美容室、レストランなども設けられていました。
建物には鉄筋コンクリートの骨組みを採用し、機能性を重視したデザインが特徴です。光や空間を巧みに取り入れたその建築は、当時のブルノで発展していた「機能主義」を象徴する存在となりました。つまり、この建物が目指したのは、単に「新しい建物」をつくることではありません。
市民の暮らしそのものを、より快適で近代的なものへ変えていくこと。100年近く前のブルノには、そんな新しい時代への思いが込められていました。現在も残るその建築は、第一共和国時代のブルノが目指した「未来の都市」の姿を今に伝えています。

56.人形劇の街
チェコ文化を語るうえで、絶対に外せないのが「人形劇(マリオネット)」の世界です。チェコとスロバキアの人形劇は、2016年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。
木彫りの人形を巧みに操りながら、物語や音楽を届ける人形劇は、チェコを代表する伝統文化のひとつです。
そして、私たちが第3回チェコ演奏会を開催するブルノも、人形劇と深い縁を持つ街なのです。
ブルノを代表する人形劇場のひとつが、1949年に創設されたラドスト劇場です。子ども向けの作品だけではなく、大人も楽しめる舞台作品を上演し、人形、俳優、音楽、舞台美術を組み合わせた独創的な世界を生み出してきました。ブルノの街に、人形劇という芸術を根付かせてきた重要な存在です。
チェコの人形劇では、音楽が重要な役割を果たしてきました。
人形の動き、舞台装置、照明、そして音楽。
それらが一体となることで、言葉だけでは伝えきれない物語が生まれます。
これは、チェコのクラシック音楽にも通じる魅力ではないでしょうか。
旋律の中に物語があり、音の中に風景がある。
そんなチェコ芸術の豊かな表現力を、人形劇から感じることができます。
チェコの人形劇で使われるマリオネットには、木彫りの職人技や伝統的な舞台芸術の歴史も息づいています。小さな木の人形が舞台の上で動き出すと、そこにはひとつの世界が生まれる。
「人形を動かす」のではなく、「人形に命を吹き込む」。
それこそが、チェコの人形劇の大きな魅力なのかもしれません。

57.AZ Tower and Modern Brno
赤屋根の歴史的な街並みや歴史ある劇場が印象的なブルノですが、実はチェコ屈指の「最先端テクノロジー都市」でもあることをご存じでしょうか?今回は、そんなブルノの“現代の顔”を象徴するランドマーク「AZタワー(AZ Tower)」と、イノベーション都市としてのブルノの魅力をご紹介します!
ブルノの南部にそびえ立つAZタワーは、高さ111メートル(30階建て)を誇るチェコ国内で最も高い超高層ビルです。単なるオフィスビルではなく、多様な施設が一つになった大規模な複合ビルになっています!
低層階: ショップ、レストラン、カフェ、フィットネスクラブなどが並ぶ賑やかな商業エリア
中層階: 最先端企業やスタートアップが入居するオフィスエリア
高層階: ブルノの街並みを見下ろすスタイリッシュな高級アパートメント(住宅)エリア
地上111mからの360度パノラマ
高層階や展望エリアからは、シュピルベルク城や聖ペテロ・パウロ大聖堂といった歴史的建造物と、美しく広がるモラヴィアの風景を一望できます。
環境に優しいサステナブル建築
地熱を利用したヒートポンプや太陽光発電パネルを組み込んだ、環境先進国チェコらしいエコな最新建築としても注目されています。
「中欧のシリコンバレー」としてのブルノ
歴史的な情景が残る一方で、ブルノはグローバルなIT企業や研究機関が集積する「中欧のシリコンバレー」としての顔も持っています。
大学都市が生むイノベーション
マサリク大学をはじめとする名門大学が集まり、若い学生や研究者が世界中から集結。電子顕微鏡の製造シェア世界有数を誇るなど、精密機器・科学技術のグローバル拠点でもあります。
古き良き伝統と最先端の調和
中世の石畳を歩いたすぐ先に、洗練されたスタートアップオフィスやAZタワーのようなモダン建築が並ぶ――。過去の歴史を大切にしながら、未来に向かって進化し続けるエネルギーこそが、現在のブルノの大きな魅力です。

58.Janáček Quartet and Chamber Music
チェコは「管弦楽」だけでなく、弦楽四重奏をはじめとする「室内楽(アンサンブル)」の分野でも世界最高峰の層の厚さを誇る国です。そして、私たちが演奏会を行うブルノは、世界に誇る名門アンサンブルをいくつも育んできた「室内楽の聖地」でもあります!
今回は、チェコのアンサンブル文化と、ブルノが生んだ伝説的な「ヤナーチェク四重奏団」の魅力をご紹介します。
チェコには「チェコ人=演奏家(Co Cech, to muzikant)」という古いことわざがあります。特に弦楽器の教育レベルが高く、家庭やサロン、教会で日常的にアンサンブルを楽しむ文化が中世・バロックの時代から根付いていました。一人ひとりが豊かな音色を持ちながらも、互いの音に寄り添い、ひとつの美しい響きを編み上げていく。この「アンサンブルの精神」こそが、チェコ音楽のあたたかみと深い表現力の源泉です。
ブルノの室内楽伝統を象徴する存在が、1947年にブルノ音楽院の学生たちによって結成された「ヤナーチェク四重奏団(Janáček Quartet)」です。ブルノを拠点に活躍した偉大な作曲家レオシュ・ヤナーチェクの名を冠し、彼の弦楽四重奏曲をはじめとするチェコ音楽の名著を世界中に広めました。結成当時、楽譜を見ずに緻密で情熱的な演奏を披露したことで世界中に衝撃を与え、世界ツアーや数々の名盤を残しました。
メンバーを変えながらも現在まで活動が続いており、ブルノの街には常にハイレベルな室内楽の息吹が流れています。オーケストラ(管弦楽)の魅力も、実はこの「室内楽的な一人ひとりの対話」から生まれます。演奏者同士が顔を見合わせ、息を揃え、音の会話を楽しむ――ブルノの街に根付く室内楽の伝統は、私たちが目指すオーケストラの響きにも大きなインスピレーションを与えてくれます。

59.Polévka and Brno Soups
チェコの食事において、メインディッシュ以上に大切にされていると言っても過言ではないのが温かいスープ「ポレーヴカ(Polévka)」です。チェコには「スープは料理の基本(Polévka je grunt)」ということわざがあるほど、人々の日々の食卓や文化に深く根付いています。
チェコでは、昼食の第一コースとして必ずと言っていいほどスープが登場します。単なる汁物ではなく、具だくさんで旨味が凝縮された“ごちそう”です。
チェスネチカ(Česnečka)
ニンニクがしっかり効いたコンソメ風スープ。とろけるチーズとカリカリのクルトンを浮かべて味わう、チェコの代表的なソウルフードです。
クライダ(Kulajda)
ジャガイモ、キノコ、ディル(ハーブ)がたっぷり入った、クリーミーで爽やかな酸味が癖になる贅沢なスープ。
ブラムボラチカ(Bramboračka)
ジャガイモと乾燥マッシュルーム、マジョラムの香りが食欲をそそる、素朴で温かみのある伝統スープ。
ブルノ散策の合間に訪れたい、人気店をご紹介します。
Polévkové okýnko(ポレーヴコーヴェー・オキーニコ)
地元の人々が日常的に利用するスープ専門の「テイクアウトの小窓」。日替わりの具だくさん手作りスープと焼き立てパンを気軽に購入できます。
Café Podnebí(カフェ・ポドネビー)
シュピルベルク城の麓に佇む隠れ家カフェ。旬の野菜をたっぷり使った自家製ポレーヴカと美しい中庭が、地元の人々に長年愛されています。
Lokál U Caipla(ロカール・ウ・ツァイプラ)
ニンニクがしっかり効いた名物スープ「チェスネチカ」など、伝統的で本格的なチェコのポレーヴカを生ビールと共に堪能できる有名店です。

60.Jiří Mahen Library
歴史的な街並みや音楽の響きに包まれたブルノには、市民がこよなく愛する“美しすぎる図書館”があります。それが、貴族の宮殿を改装して作られた「ジシー・マヘン図書館(Knihovna Jiřího Mahena)」です。チェコの人々がいかに本と知性を大切にしてきたかを感じられる、魅力あふれるスポットをご紹介します!
ブルノの旧市街中心部(コブリジナー通り)に佇むこの図書館は、元々は18世紀に建てられたバロック様式の邸宅「シュラッテンバッハ宮殿」でした。館内に一歩足を踏み入れると、そこはまさに宮殿そのもの!繊細な天井のフレスコ画や装飾、優美な階段、クラシカルなインテリアに囲まれながら本を選ぶことができます。
図書館の名は、ブルノで活躍した劇作家・詩人であり、この図書館の初代館長を務めたジシー・マヘン(Jiří Mahen)に由来します。彼は「読書は市民の文化を高める」と信じ、街の図書館運動に情熱を注ぎました。
チェコは「世界で最も高密度に図書館が存在する国」の一つと言われるほど、国民的な読書好きの国です。ジシー・マヘン図書館は、単に本を借りるだけでなく、カフェでくつろいだり、読書会やイベントが開催されたりと、子どもからお年寄りまでが集う市民の憩いの場になっています。
文学や言葉を慈しむチェコ人の気質は、ヤナーチェクやドヴォルザークといった作曲家たちが生み出した、ドラマチックで物語性に満ちた音楽の根底にも深く通じています。

61.Balet NdB ― バレエ史の名作『ロミオとジュリエット』世界初演の地・ブルノ
クラシック音楽やバレエを愛する人々に親しまれている、セルゲイ・プロコフィエフの名作『 ロミオとジュリエット 』。実はこの作品が1938年12月30日に世界初演された場所は、ソ連ではなく当時のチェコスロヴァキア(現在のチェコ)、ブルノでした。
今回は、世界のバレエ史に重要な足跡を残したブルノの歴史と、舞台芸術の歩みをご紹介します!
1938年12月30日・ブルノでの世界初演
プロコフィエフが手がけた『ロミオとジュリエット』は、当時その斬新な音響や複雑なリズムから、劇場の演奏家やダンサーたちに「踊れない(netanečná)」と受け止められ、本国ソ連での上演企画が難航していました。
ブルノ国立劇場(現NdB)の快挙
この音楽の先駆的な魅力を見抜き、ソ連での上演に先立って世界初演を成し遂げたのが、当時のブルノ・バレエ(会場:現在のマヘン劇場)でした。
振付家イヴォ・ヴァーニャ・プソタの情熱
名振付家プソタ(Ivo Váňa Psota)の手により、主に第1・第2組曲の音楽を用いた1幕構成として仕立てられた舞台は大成功を収め、作品の真価を世界に示すきっかけとなりました。
歴史と伝統を受け継ぐ「Balet NdB」
世界初演という歴史的な役割を果たしたブルノ国立劇場バレエ団(Balet NdB)は、現在もチェコを代表する名門バレエ団としてその歩みを続けています。
多彩なレパートリーと劇場空間
クラシックの伝統を重んじながらも現代的な演出を取り入れ、マヘン劇場やヤナーチェク劇場を舞台に洗練されたパフォーマンスを披露し続けています。

62.Statue of Courage ― モラヴィア広場にそびえる長脚の騎馬像「騎士の像(Odvaha)」
ブルノの旧市街北側に広がるモラヴィア広場(Moravské náměstí)を訪れると、誰もが足を止めて見上げる斬新な彫刻作品があります。それが、チェコを代表する現代彫刻家ヤロスラフ・ローナ(Jaroslav Róna)が手がけたブロンズ像『Odvaha(勇気)』です。一見すると重厚な中世騎士のようでありながら、どこかアヴァンギャルドな魅力に溢れたブルノの名物アートをご紹介します!
プラトンの「徳目」と中世の英雄を讃える巨大彫刻
2015年に設置されたこの彫刻は、高さ8メートル(槍の先まで)にも及ぶ圧巻のスケールを誇ります。
モラヴィア辺境伯ヨストへのオマージュ
モデルとなっているのは、14世紀にモラヴィア地方を治め、神聖ローマ皇帝にも選ばれた歴史的英雄ヨスト(Jošt Lucemburský)です。
古代ギリシャ哲学「勇気」の象徴
作品名『Odvaha』はチェコ語で「勇気」を意味します。プラトンが提唱した4つの主要な徳目(智恵・節制・正義・勇気)のうち、「勇気」を体現するシンボルとして制作されました。
馬の足元に入り込んで見上げる「秘密の視点」
この作品が人々に愛されている最大の理由は、そのユニークすぎるフォルムと遊び心にあります。
竹馬のように長い脚
馬の脚がスラリと極端に長く引き伸ばされたフォルムは、重厚なブロンズ像に軽やかさと独特の存在感を与えています。
下から見上げる驚きの構図
馬の前脚の間に入り込み、真上(馬の頭部)を見上げると……なんともユーモラスな視覚的トリックが表れます。ぜひ現地で実際に足元に立ち、真上を見上げてみてください!

63.「不完全性定理」で世界を揺るがした天才を生んだ知の都
20世紀を代表する論理学者の一人であり、アインシュタインとも親交を深めたクルト・ゲーデル。現代の数学や論理学、そしてコンピュータ科学や哲学にも大きな影響を与えた「不完全性定理」を証明したこの稀代の天才は、1906年、ブルノで誕生しました。今回は、偉大な知性を育んだブルノの歴史と風土をご紹介します!
ゲーデルは、18歳でウィーン大学へ進学するまで、ブルノで幼少期から青春時代を過ごしました。少年時代のゲーデルは、どんなことにも「なぜ?」と疑問を持ち、質問を重ねたことから、家族に親しみを込めて「Mr. Why(なぜさん)」と呼ばれていたと伝えられています。
ゲーデルは1906年4月28日、現在のペカージスカー通り(Pekařská)5番地で生まれました。生家には記念プレートが掲げられているほか、少年時代を過ごしたPellicova 8aにも記念碑が設置されています。また、ブルノには彼の名を冠した「クルト・ゲーデル小路」もあります。
ゲーデルの「不完全性定理」は、おおまかに言えば、一定の条件を満たす十分に強力な形式体系には、その体系の中では証明も反証もできない命題が存在しうることを示した画期的な成果です。これは単純に「数学には解けない問題がある」という意味ではありません。しかし、どれほど厳密な論理体系であっても、その体系だけでは捉えきれないものが存在することを示したという点で、20世紀の数学と思想に大きな衝撃を与えました。そして、この「すべてを一つの体系だけで語り尽くすことはできない」という発想には、どこかクラシック音楽の深遠さにも通じるものがあるように感じられます。
対位法や精巧な形式によって緻密に組み上げられながらも、音楽は最後には言葉や計算だけでは割り切れない、人間の感情や想像力の世界へと広がっていきます。
数学と音楽―。どちらも厳密な構造を持ちながら、その奥には無限とも思える豊かな世界を秘めているのかもしれません。

64.「聖ヤクブ教会(Kostel sv. Jakuba)」
今回は、第3回チェコ演奏会・帰京公演で指揮・ピアノを務めていただく薩摩研斗マエストロからいただいた寄稿をご紹介します!
聖ヤクブ教会は、ブルノの中心にある歴史的な教会です。
教会の歴史は13世紀までさかのぼり、現在の建物は主にゴシック様式で建てられています。高さ約94メートルの塔も特徴の一つです。
教会の地下には大きな納骨堂があり、たくさんの人々の遺骨が納められています。その規模は、パリのカタコンブに次いでヨーロッパで2番目ともいわれています。
また、教会の塔には、お尻を出した小さな石像があります。聖ペトロ・パヴェル大聖堂の方向にお尻を向けていて、ブルノのちょっと面白い名物になっています。
ブルノの歴史と、少しユーモアのある一面を感じられる教会です。
(薩摩マエストロの一言メモ)
「初めて納骨堂に行った時はびっくりしました!壁が全て骨で埋め尽くされていました」

65.チェコで愛されるベトナム料理
前回に引き続き、第3回チェコ公演・80回演奏会で指揮を務める薩摩研斗マエストロからいただいた寄稿をご紹介します!
チェコでは、ベトナム料理がとても身近な存在です。
チェコには多くのベトナム系の人々が暮らしていて、その背景には社会主義時代のチェコスロバキアとベトナムの交流があります。特に1960年代以降、留学や職業訓練などで多くのベトナム人がチェコスロバキアにやって来ました。
そのため現在では、プラハやブルノなど多くの街でベトナム料理店を見つけることができます。
特に有名なのが、米麺を使ったスープ「フォー」や、ベトナム風サンドイッチの「バインミー」、揚げ春巻きなどです。
ベトナム料理は、今ではチェコの食文化の身近な一部になっています。
(薩摩マエストロの一言メモ)
「ブルノでおすすめのベトナム料理レストランは『 Gô Brno 』です!リハーサルや移動で疲れた時には、ここの美味しいフォーを食べてパワーをチャージしています!」

66.ブルノの車輪(Brněnské kolo)
ブルノの旧市庁舎(Stará radnice)の通路を見上げると、巨大なワニの剥製(ブルノのドラゴン)とならんで、大きな木製の車輪が飾られています。これは17世紀から語り継がれる、ブルノで最も有名でユーモラスな「ブルノの車輪(Brněnské kolo)」の伝説です!
伝説の舞台は1636年。ブルノから約50km離れたレドニツェ(Lednice)の町に住む大工、ヤジー・ビルク(Jiří Birk)の居酒屋での一言から始まりました。
彼は仲間と「日の出に森で木を切り倒して車輪を造り、それを日の入りまでにブルノの市長のもとへ転がして届けてみせる」という無謀な賭けをしました。
ビルクは早朝から生木を切り出し、手際よく見事な車輪を完成させると、50km以上の道のりをひたすら走り、車輪を転がし続けました。
ビルクは日没直前、見事ブルノに到着。市長に車輪を買い取ってもらい、賭けに勝利しました。
彼が1日で造り上げ転がしてきたその車輪は、現在も旧市庁舎の通路の天井に保存されており、観光客を驚かせるブルノの名物となっています。
あまりの早業に、当時は「ビルクは悪魔と契約したに違いない」と噂され、彼は職人としての栄誉と同時に奇妙な有名人になってしまったという後日談も残っています。
制限や困難に負けず、情熱と確かな技術で一つの作品を成し遂げる職人魂。それは、楽譜に向き合い豊かな音色を磨き上げるオーケストラの姿にも通じるものがあります。

67.ブルノを愛した巨匠ドヴォルザークとヤナーチェクとの友情
チェコを代表する大作曲家アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Dvořák)。彼とブルノ、そして若き日のレオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček)を結びつけたのは、音楽への深い敬意と熱い情熱でした。
今回は、ブルノの名門ホール「ベセドニー・ドゥーム(Besední dům)」を舞台に繰り広げられた、二人の歴史的交流をご紹介します!
ドヴォルザークの才能をいち早く見抜いていたヤナーチェクは、彼の音楽をブルノの聴衆に届けるため熱心に動きました。
ヤナーチェクはドヴォルザーク本人をゲストとしてベセドニー・ドゥームへ招待。自らの指揮でドヴォルザークの『セレナード』などを演奏し、地元の聴衆にその魅力を紹介しました。
1886年にも同ホールでヤナーチェクの指揮によるドヴォルザークの傑作カンタータ『賛歌』などが演奏され、ブルノの観客から大喝采を浴びました。
ドヴォルザークにとってベセドニー・ドゥームは、「ブルノに赴けば、熱狂的な崇拝者である若いヤナーチェクが自分の音楽を最高の形で演奏して迎えてくれる」という、きわめて幸福な記憶と結びついた特別な場所となりました。
この地での大成功と温かな交流は、二人の生涯にわたる強い絆と深い友情を育む原動力となったのです。

68.ルハチョヴィツェ
モラヴィア地方を代表する作曲家、レオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček)が繰り返し訪れた、美しい温泉保養地ルハチョヴィツェ(Luhačovice)、豊かな自然と美しい建築、そしてミネラル豊富な鉱泉で知られる、チェコを代表する温泉地のひとつです。
チェコの温泉地では、鉱泉を飲む「飲泉」が伝統的な温泉文化として親しまれてきました。ルハチョヴィツェでは、専用の陶器製コップ「Lázeňský pohárek」を使って鉱泉を味わいます。普通のコップとは少し違い、持ち手と飲み口が一体となった独特の形が特徴。
現在の代表的なデザインのひとつが「Labuť(白鳥)」です。白鳥の首を思わせる優雅な曲線を持ち、2018年にデザイナーのダニエル・ピルシュ(Daniel Piršč)によって生み出されました。
ルハチョヴィツェを代表する鉱泉といえば、ヴィンツェントカ(Vincentka)。豊富なミネラルを含む天然鉱泉として知られ、現在も温泉街で味わうことができます。専用の温泉コップを手に、鉱泉をゆっくり味わいながら温泉街を歩く――。これもルハチョヴィツェならではの楽しみ方です。
ヤナーチェクはルハチョヴィツェをたびたび訪れ、休養と創作の時間を過ごしました。
1917年の滞在では、後に彼の人生や創作に大きな影響を与えることとなるカミラ・ストスロヴァー(Kamila Stösslová)と出会いました。
また、1922年にはルハチョヴィツェに滞在し、代表作『利口な牝狐の物語(Příhody lišky Bystroušky)』を手がけました。ルハチョヴィツェには現在もヤナーチェクゆかりの場所を巡る「ヤナーチェク・トレイル」があり、作曲家とこの街とのつながりを今に伝えています。
ヤナーチェクの音楽には、モラヴィアの自然や人々の話し声、民俗的なリズムなど、この土地の風土を感じさせる要素が数多く登場します。
温泉街で自然の音に耳を澄ませ、その土地から生まれた音楽に耳を傾ける。
そんな旅も、チェコならではの楽しみ方かもしれません🎵
ブルノからは鉄道などを利用してアクセスできますが、乗り換えが必要で、所要時間は経路によって異なります。
時間に余裕があれば、日帰りだけでなく1泊して、温泉街やヤナーチェクゆかりの場所をゆっくり巡るのもおすすめです。
どちらも、急がず、じっくりと味わう贅沢な時間です。
ブルノを訪れた際には、ぜひ少し足を延ばして、ヤナーチェクが愛した温泉街ルハチョヴィツェを訪れてみてはいかがでしょうか?

69.ブルノの住所システム
ブルノの街を歩いていると、建物の入口付近に、数字が書かれた2枚のプレートが並んでいることに気づくかもしれません。「同じ建物なのに、なぜ番号が2つあるの?」実は、これはチェコの住所表示の特徴のひとつ。
ブルノでは、建物に「建物そのものを識別する番号」と「通りの中で場所を示す番号」という、異なる2種類の番号が付けられています。
2つの番号、それぞれの役割
ひとつは「číslo popisné(チースロ・ポピスネー)」。
建物そのものを識別するための番号で、ブルノでは黒い背景に白い数字で表示されます。
もうひとつが「číslo orientační(チースロ・オリエンタチニー)」。
こちらは通りの中で建物を見つけやすくするための番号で、白い背景に赤い数字で表示されます。
つまり、例えば住所に「12/45」のような2つの数字があったら、
12 → 建物を識別する番号
45 → 通りの中での位置を示す番号
というように、それぞれ違う役割を持っているのです。
もちろん、これは単なる「番号が2つある」という話ではありません。ブルノ市は、この住所表示を都市の位置情報を正確に管理するための重要な仕組みとして運用しています。建物の番号は、チェコの不動産・住所情報の公的な登録システムとも結びついています。
街歩きがちょっと面白くなる
観光名所を巡るだけではなく、こうした何気ない街の表示に注目してみると、その都市の暮らしや仕組みが見えてきます。
ブルノでは、建物の壁に並ぶ数字さえも、街の歴史と都市の仕組みを知る手がかり。
次にブルノを訪れたら、ぜひ建物の入口の上を見上げてみてください。「この2つの数字には、どんな意味があるんだろう?」そんな小さな疑問から、ブルノの街歩きがもっと楽しくなるかもしれません。

70.ブルノの多文化都市としての歴史
今回ご紹介するのは、現在のブルノを理解するうえで欠かせない「多文化都市としての歴史」です。
現在のブルノはチェコ共和国にあります。しかし、歴史を遡ると、現在のチェコ共和国という国家が成立するはるか以前から、ブルノはモラヴィア地方の重要な都市として発展してきました。1526年以降はハプスブルク家の支配下に入り、1804年からはオーストリア帝国、1867年から1918年まではオーストリア=ハンガリー帝国の一部となりました。つまり、ブルノは長い間、ウィーンを中心とする政治・文化圏と深いつながりを持っていたのです。
ここで大切なのは、「ブルノにオーストリア人という別の民族がいた」という単純な話ではないこと。ハプスブルク帝国の中で発展したブルノには、ウィーンを中心とするドイツ語圏の文化が強く影響しました。建築、音楽、教育、行政、商業など、さまざまな分野でウィーンとの交流が生まれたのです。
19世紀になると、ブルノは繊維産業を中心に急速に発展。「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市となりました。その一方で、チェコ語を話す人々とドイツ語を話す人々が暮らし、両方の文化が都市生活の中に存在していました。そして、ユダヤ人コミュニティも商業や産業などで重要な役割を果たしました。
こうして19世紀のブルノには、
チェコの文化
ドイツ語圏の文化
ユダヤ人コミュニティ
ウィーンを中心とするオーストリアの文化的影響
が複雑に重なっていきます。
ただし、それは単純な「仲良く共存した歴史」ではありません。19世紀後半にはチェコ人とドイツ人の間で民族的・政治的な対立も強まりました。異なる文化が共存し、影響し合い、ときには競い合い、衝突する。そんな複雑な歴史の積み重ねが、現在のブルノを形づくっているのです。

71.ヤナーチェク・カップ&ワニのカップ
ブルノ連載、演奏会後の今回はお土産シリーズの第1回❗
今回ご紹介するブルノのお土産は、ブルノ観光案内所で見つけたユニークなカップです☕
ひとつは、ブルノを代表する作曲家レオシュ・ヤナーチェクをモチーフにした「ヤナーチェク・カップ」🎼
そして、もうひとつは……なんと「ワニのカップ」🐊☕️
ブルノには、街のシンボルとして知られる「ブルノのドラゴン」があります。
実はこの「ドラゴン」の正体はワニ。
旧市庁舎の天井から吊り下げられた巨大なワニの剥製が、現在もブルノの有名な観光スポットになっています。
音楽の街・ブルノを象徴するヤナーチェクと、ブルノの街に伝わる「ドラゴン」の伝説。
どちらもブルノらしさを感じられるお土産です🎼
実際に街を歩いてみると、こうした「ブルノならでは」のものに出会えるのも楽しいところ。
さて、次はどんなお土産に出会えるでしょうか?
「ブルノのお土産」シリーズ、続きます!🎁

72.メンデル博物館のDNAトートバッグ
ブルノのお土産、今回はちょっと知的な一品をご紹介!
こちらは、ブルノにある「メンデル博物館」で見つけたDNAデザインのトートバッグです🧬🇨🇿
ブルノといえば、遺伝学の父として知られるグレゴール・ヨハン・メンデル。
メンデルはブルノの聖トーマス修道院で長年研究を行い、エンドウ豆を使った実験から、現在の遺伝学につながる重要な法則を発見しました。
そのメンデルの功績を象徴するDNAがデザインされたトートバッグ。
音楽の街としてのブルノだけでなく、科学の歴史を刻んだ街としてのブルノも感じられるお土産です🔬🧬
私達が訪れたときは、同じデザインのTシャツも販売されていました❗️
さて、次はどんなお土産に出会えるでしょうか?🎁

73.ヤナーチェクゆかりの老舗書店で見つけた「音楽ノート」
チェコ・ブルノの中心部、チェスカー通りにある「Barvič a Novotný(バルヴィチ・ア・ノヴォトニー)」。
1883年創業の、ブルノで最も古い書店です。
創業当時のブルノはドイツ語文化の影響が強い都市でした。そんな中、Josef Barvičによって開かれたこの書店は、創業時にはブルノで唯一のチェコ系書店として、チェコの文化・芸術活動を支える重要な場所となりました。
そして、この書店と深い縁があるのが、ブルノを代表する作曲家レオシュ・ヤナーチェク。
ヤナーチェクはこの店で書籍や楽譜を注文していたほか、店に併設されていた音楽サロンにも足を運んでいたといわれています。
現在も店内には「Hudebniny(音楽部門)」があり、楽譜や歌集、CD・LPなど、音楽に関する商品が並んでいます。
今回、この書店は薩摩研斗マエストロにご紹介いただき、実際に訪れてみました。
そして「Hudebniny」で見つけたのが、こちらの五線が印刷された「音楽ノート」🎼
ブルノの音楽文化を感じられる、まさに今回の旅にぴったりのお土産です🇨🇿

74.スターバックス「ブルノマグ」
今回は、世界各地の都市をデザインした「You Are Here Collection」のブルノ版マグカップをご紹介します。
スターバックスの「You Are Here Collection」は、訪れた都市の風景や文化を描いたシリーズ。ブルノ版のマグカップも、旅の記念にぴったりのアイテムです。
ブルノの街並みや観光名所をデザインに取り入れたマグカップを手にすると、今回のチェコ滞在で歩いた街の風景が思い出されます☕️
世界各地の都市を巡りながら、その土地ならではのマグカップを集めるのも、旅の楽しみのひとつ。
今回のブルノ滞在では、音楽だけでなく、街の歴史や文化、そしてお土産を通しても、この街の魅力に触れることができました。
このマグで、ブルノでの思い出を、日本へ持ち帰ることができます🇨🇿🇯🇵
次回の「ブルノのお土産」もお楽しみに🎁

75.Budvar 33(ブドバー33)
今回ご紹介するのは、チェコを代表するビールブランドのひとつ、Budějovický Budvar(ブジェヨヴィツキー・ブドバー)の「Budvar 33」です!
ブルノ滞在中に出会った、チェコのビール文化を感じるお土産🍻
大きな赤文字で「33」と書かれたラベルが印象的なBudvar 33は、ブドバー初のビターラガー。
名前の「33」は、国際苦味単位(IBU)が33であることに由来しています。
アルコール度数は4.6%。チェコ産ホップ「Agnus」を使用し、ラガーならではの飲みやすさに加えて、しっかりとした苦味とホップの風味を楽しめるビールです。
🍺 Budvar 33の特徴
・ブドバー初のビターラガー
・苦味を示すIBUは33
・アルコール度数4.6%
・ホップ由来のしっかりとした苦味
・チェコの伝統的なラガー文化を背景にしたビール
ちなみに、Budvar 33の醸造所は、南ボヘミア地方のチェスケー・ブジェヨヴィツェにあります。
今回ブルノで購入したBudvar 33は、モラヴィア地方のブルノから、チェコの別の地域で育まれたビール文化にも触れることができる一品。
チェコ国内のさまざまな地域に根付くビールの歴史や味わいを、旅を通して知ることができました🇨🇿
大きな赤文字で「33」と書かれたビターラガーラベルはチェコ現地では販売されている一方、日本国内の一般的なスーパーや酒販店、ネット通販では、通常ラインナップとして正規輸入されているケースは極めて稀です。
チェコで出会えた貴重なビールを、ブルノ滞在の思い出とともに日本へ🍻🇯🇵

76.古いブルノのスタンプ
今回ご紹介するのは、日本のチェコ雑貨店「ハーチェク」さんで見つけた、古道具、古い木製のスタンプです。
印影に残されているのは、
「BRNO-ŽIDENICE
VINIČNÍ 201」
という文字。
「BRNO-ŽIDENICE」は、ブルノ東部に位置するジデニツェ地区。
そして「VINIČNÍ 201」は、現在もブルノに残る住所です。
この小さなスタンプには、ひとつの街と、そこに暮らした人々の記憶が刻まれています。木製の持ち手には長い年月が感じられ、印面には、かつて何度も書類に押されたであろう跡が残っています。
一枚の記録に。誰かの暮らしに関わる書類に。この小さなスタンプが、何度も押されていたのかもしれません。
今では、誰が、どんな場所で、どんな思いで使っていたのかを知ることはできません。
それでも、
「BRNO-ŽIDENICE」
「VINIČNÍ 201」
という街の名前と住所は、今も残っています。
観光名所ではない、街の一角。そこにも確かに、人の暮らしがあり、仕事があり、長い時間が流れていた。そんな「街の記憶」を日本で見つけた、ちょっと特別な古道具です。ブルノで見つけたものではなく、日本のチェコ雑貨店「ハーチェク」さんで偶然出会った小さなスタンプ。
遠く離れた日本で、古いスタンプを手に取り、まだ知らないブルノの一角に思いを馳せる。旅が終わっても、街とのつながりは続いていきます。🇨🇿

77.ヤナーチェク・ノート
今回ご紹介するブルノのお土産は、音楽の街ならではの一冊。ブルノを代表する作曲家、レオシュ・ヤナーチェクがデザインされたノートです。
表紙に描かれているのは、どこかユーモラスなヤナーチェクの肖像。
その下には、
「JANÁČEK BRNO」
の文字がデザインされています。
ヤナーチェクは、ブルノと深い結びつきを持つ作曲家。この街で学び、活動し、数多くの作品を生み出しました。
ブルノの街を歩いていると、ヤナーチェクの名前や音楽に出会う機会がたくさんあります。
そんな音楽の街で見つけたノート。楽譜を書き留めるために。旅の思い出を記録するために。ふと思いついた音楽のアイデアを残すために。
使い方は自由ですが、音楽に携わる者としては、やはり特別な一冊に感じます🎻
今回のチェコ演奏会では、ヤナーチェクの故郷であるモラヴィアの文化に触れ、ブルノの歴史あるホールで音楽を奏でました。
その街で手にしたノートを、今度は日本で使っていきます。
ブルノで過ごした時間や、そこで出会った音楽が、この一冊に少しずつ刻まれていくかもしれません。
音楽の街から持ち帰った、小さな思い出。
ブルノのお土産シリーズ、今回はヤナーチェク・ノートでした🎁

78.メンデルのえんどう豆キーホルダー
今回ご紹介するのは、えんどう豆のさやをかたどったキーホルダーです。
緑色のさやの中に、緑色と黄色の豆が並んでいます。
この小さな豆から、ひとつのエピソードを思い出します。
19世紀、ブルノの修道院の庭で、グレゴール・ヨハン・メンデルは、えんどう豆を使った実験に取り組みました。
メンデルが用意したえんどう豆は、なんと34種類。
それぞれの特徴が安定して受け継がれるかどうかを、2年間にわたって観察したといわれています。
すぐに答えが出るわけではない。
目立つ成果が、すぐに認められるわけでもない。
それでも、ひとつひとつの違いを見つめ、記録し、実験を重ねていく。
その積み重ねが、後の遺伝学につながっていきました。
小さなえんどう豆のキーホルダーを眺めながら、ブルノの庭で、黙々と植物と向き合っていたメンデルの姿を想像します。
大きな発見の始まりは、案外、こんなに小さなものだったのかもしれません。
音楽も科学も、日々の観察と積み重ねが、いつか新しいものを生み出す。
そんなことを思い出させてくれる、ブルノのお土産です👑
小さな豆とともに、ブルノで過ごした時間を日本へ持ち帰れます🫛

79.スロバキアのお菓子「Mila」
今回のお土産は、ちょっと意外な一品。
チェコ・ブルノで見つけた、スロバキアのお菓子「Mila(ミラ)」です!
サクッとしたウエハースに、ミルククリームをたっぷりとサンドし、ココアのコーティングで包んだお菓子。
今回購入したのは、食べやすいミニサイズが入った「Mini Mila」です🍫
実はこの「Mila」、スロバキア生まれ。
1969年に誕生して以来、長く親しまれてきたロングセラーのお菓子です。Mini Milaは2023年に登場し、10gの小さなサイズで個包装されています。
そして面白いのが、スロバキアのお菓子でありながら、チェコでも広く流通していること。
現在もチェコの大手スーパーでMilaやMini Milaが販売されており、チェコの日常の中でも見つけることができます。
チェコとスロバキアは、現在はそれぞれ独立した国ですが、かつては「チェコスロバキア」という一つの国を構成していました。
ブルノの街を歩いていると、チェコだけではなく、こうした周辺国との歴史的・文化的なつながりも感じることがあります。
今回の「Mila」も、そんな中欧のつながりを感じさせてくれるお土産のひとつ。
ブルノで見つけたスロバキアのお菓子を、日本に持ち帰って味わいながら、チェコで過ごした時間を思い出します。
旅のお土産は、その街で作られたものだけではありません。
旅先で出会ったもの、その土地で見つけたものにも、その旅の記憶が詰まっています。
ブルノのお土産シリーズ、今回はちょっと意外な「スロバキアのお菓子」でした🎁🍫

80.観光案内所でもらったブルノの地図
今回のお土産は、ちょっと変わり種。ブルノの観光案内所でもらった、街の観光マップです🗺️
ブルノを歩くときに欠かせないのが、この一枚。地図を広げてみると、旧市街を中心に、シュピルベルク城、聖ペテロ・聖パウロ大聖堂、劇場や博物館など、ブルノのさまざまな見どころが一目で分かります。そして今回の第3回チェコ演奏会の会場となった、歴史あるコンサートホール「Besední dům」も、この地図の中に。
実際に歩いた街を、帰国してから改めて地図で眺めてみると、「ここからあそこまで歩いたんだ」「この道を通ったな」「こんな場所に行っていたのか」と、ブルノで過ごした時間がよみがえってきます。
スマートフォンがあれば、いつでも現在地を確認できる今の時代。それでも旅先でもらった一枚の紙の地図には、その街を歩いた記憶を残してくれる魅力があります。
もちろん、これは観光案内所でもらった無料の地図。でも、私たちにとっては、ブルノの街を歩いた証であり、今回のチェコ公演の思い出のひとつです🇨🇿
旅先から持ち帰ったものは、必ずしも「買ったもの」だけではありません。その街でもらった一枚の地図にも、旅の記憶が詰まっています。
ブルノのお土産シリーズ、今回は「観光案内所でもらった地図」でした🎁🗺️

81.Profík & Trolík のステッカー
今回のお土産は、ちょっと小さな一品。
ブルノで訪れたシュークリームのお店「Profík & Trolík」でいただいたステッカーです。
お店の名前とともに描かれているのは、かわいらしいキャラクター。
旅先では、ついつい「これは日本に持って帰りたい!」と思うものに出会います。
今回のステッカーも、そのひとつ。
お菓子を食べた思い出だけでなく、訪れたお店そのものを思い出させてくれる、小さな旅の記念品です。
ブルノで食べたシュークリーム。
お店で過ごした時間。
そして、この一枚のステッカー。
日本に帰ってからも、こうした小さなものを見ると、ブルノの街を歩いたときの記憶がよみがえります。
お土産というと、つい「何を買ったか」に目が行きますが、旅先でもらったものにも、その旅の思い出が詰まっています。
今回のブルノのお土産は、そんな「小さな記憶」を持ち帰る一枚でした🎁

82.In the Footsteps of Leoš Janáček
ヤナーチェクの足跡をたどる一冊📖🎼
今回ご紹介するのは、ブルノ観光案内所で購入した書籍
「In the Footsteps of Leoš Janáček(ヤナーチェクの足跡)」。
チェコを代表する作曲家レオシュ・ヤナーチェクと、ブルノとの深い関わりをたどるガイドブックです。
ヤナーチェクが暮らし、作曲し、教え、演奏会や初演に立ち会い、友人たちと交流した場所など、ブルノの街に残るさまざまな「ヤナーチェクの足跡」が紹介されています。
実はこの本を知るきっかけになったのが、ブルノ・フィルハーモニックで活躍されている後藤博亮さんからのご紹介。
今回のチェコ公演では、ブルノ・フィルの後藤さんと薩摩研斗さんによる特別対談も実現しました。
ブルノを歩けば、ヤナーチェクが歩いた場所に出会う。
そして、その街で私たちPEOも演奏する。
音楽を聴くだけでなく、その音楽が生まれた街を歩いてみる。
そんな楽しみ方を教えてくれる一冊です🎼
🎬 後藤博亮さん × 薩摩研斗さん
「第3回チェコ演奏会 特別対談」
ブルノ、チェコ音楽、そしてヤナーチェクについて語る特別対談をぜひご覧ください👇
YouTubeで特別対談を見る

83.KAM v Brně / WHERE in Brno
今回のお土産は、ブルノの文化・情報誌『KAM v Brně / WHERE in Brno』の2026年9月号。
1957年から続く、ブルノの街の情報を発信する月刊誌です。
この号のメインテーマは
「Brno pěšky」
「Město dlouhých procházek(長い散歩の街)」
歩いてブルノを巡りながら、街の歴史や風景、知られざる魅力を見つける特集です。
今回のブルノ滞在でも、私たちは街を歩きながら、歴史ある建物や通り、カフェ、街角の風景など、たくさんのブルノの魅力に出会いました。
この『KAM v Brně』はデジタル版も無料公開されています。
https://issuu.com/poc…/docs/kam_v_brn_where_in_brno_z_2026
さらに、後藤博亮さんに紹介していただいた書籍『レオシュ・ヤナーチェクの足跡をたどって』も、同サイトで無料で閲覧することができます。
https://t.co/JPVCQ0lu76
現地で手にした紙の冊子を持ち帰り、帰国後はデジタル版でも楽しめる。
ブルノの街と音楽を知る、素敵な資料🚶

84.ヴェンドゥラ・ハラーンコヴァーさんのヤナーチェク
今回のお土産は、ブルノ観光案内所で手にした、レオシュ・ヤナーチェクをモチーフにしたチョコレート。
このカラフルで印象的なデザインを手掛けたのは、チェコのアーティスト、ヴェンドゥラ・ハラーンコヴァー(Vendula Chalánková)さん。
ハラーンコヴァーさんは、レオシュ・ヤナーチェク・アーカイブに残る歴史的な写真をもとに、ヤナーチェク本人や家族、親しい人々を独自のタッチで描いています。
さらに、オペラ『利口な女狐の物語』に登場するキャラクターもデザインに取り入れられています。
TIC BRNOでは、ハラーンコヴァーさんのデザインを使ったヤナーチェクのコレクションを展開しており、今回のチョコレートのほか、ポストカードやメモリーゲーム、子ども向けTシャツなども作られています。
音楽の街ブルノでは、ヤナーチェクが「偉大な作曲家」としてだけではなく、街を身近に感じさせる存在として、さまざまな形でデザインされています。
その一つが、こんなかわいらしいチョコレート🍫
食べるのが少しもったいなく感じる、ブルノらしい素敵なお土産です🇨🇿🎶

85.ブルノのトラムのキップ
今回のお土産は、ブルノの街を走るトラムのキップ。
ブルノの市内交通では、現在はカードやスマートフォンなどを使って乗車することもできますが、今回はあえて紙のキップを購入しました。
券売機でキップを買い、手にして、刻印してからトラムに乗る。
便利さだけを考えれば、もっと簡単な方法もありますが、旅先では、こうした「切符を買う」というひと手間にも、ちょっとした趣があります。
写真のキップは、ブルノ市内の2ゾーン・15分券。
料金は20チェココルナです。
古い街並みの中を走るトラムに乗り、車窓からブルノの街を眺める。
そして、使い終わったキップを旅の記念に持ち帰る。
デジタル化が進む今だからこそ、旅先で手にした一枚の紙のキップが、ブルノで過ごした時間を思い出させてくれます🚋🇨🇿

86.ブルノの老舗美術工芸協同組合
今回のお土産は、チェコを代表するキャラクター「クルテク(Krtek)」のぬいぐるみ。
でも、今回注目したいのは、クルテクだけではありません。
ぬいぐるみに付いている黄緑色のタグに記された「munabo®」というブランドとブルノの文字。
これは、ブルノを拠点とする「Moravská ústředna Brno(モラヴィア協同組合)」が展開するブランドです。
タグには「družstvo umělecké výroby」と書かれています。
「Družstvo(ドルジュストヴォ)」とは、複数の職人や生産者が技術などを持ち寄り、共同で活動する「協同組合」のこと。
チェコでは、こうした協同組合が、木工や玩具、ガラス、刺繍など、さまざまな伝統的な手仕事を支えてきました。
Moravská ústředna Brnoも、その一つ。
1909年にブルノで創業し、現在もぬいぐるみやパペットなど、チェコのものづくりを受け継いでいます。
今回のクルテクも、そんなブルノのものづくりの伝統から生まれたもの。機械による完全な大量生産ではなく、チェコの伝統を受け継いだ職人さんたちの「てしごと」が詰まった特別なぬいぐるみです
キャラクターのお土産から、ブルノに根づく職人の文化へ。
一つのぬいぐるみから、チェコの「ものづくり」の歴史を感じることができました🧸🇨🇿

87.『Brněnské legendy(ブルノの伝説)』
今回のお土産は、Martina Trchová(マルティナ・トルホヴァー)さんによる『Brněnské legendy(ブルノの伝説)』。ブルノの街に伝わる10の伝説を集めた一冊です。
なぜ旧市庁舎には「ブルノのドラゴン」と呼ばれるワニが吊るされているのか?
なぜ巨大な木製の車輪が飾られているのか?
なぜペトロフの聖ペトロ・聖パウロ大聖堂では、「正午」の鐘が11時に鳴るのか?
そして、旧市庁舎の入口にある尖塔は、なぜ一本だけ曲がっているのか?
ブルノの街を歩いていると出会う、ちょっと不思議なものや風景。その一つひとつには、昔から語り継がれてきた物語があります。
実はこの本、ブルノの伝説を紹介するだけではありません。外国人がチェコ語を学ぶための「Adaptovaná česká próza(学習者向けに書き直されたチェコ語文学)」シリーズの一冊で、A2レベル以上を対象としています。物語を楽しみながらチェコ語を学べるよう、語彙や文法などの練習問題も収録されています。
そして、この本のもう一つの魅力が、Martina Trchováさん自身が手掛けたオリジナルのリノカット(リノリウム版画)の挿絵。素朴で力強い版画の表現が、ブルノに伝わる少し不思議な伝説の世界を、より印象的なものにしています。
そして、『Brněnské legendy』はオンラインでも一部を読むことができます📖
https://issuu.com/akropolis/docs/brnenske_legendy_issuu?utm_source=chatgpt.com
ブルノを「観光する」だけでなく、その街に残る伝説を知ることで、何気なく見ていた建物や街角の風景も、少し違って見えてきます
。
旅先で出会った風景を、今度は「物語」として日本へ持ち帰ることができる―そんなブルノらしい一冊です📖🇨🇿

88.ビールコースター
チェコといえばビール。
今回のお土産は、現地のお店でいただいたビールのコースターです。
写真の「PEGAS」をはじめ、ブルノ滞在中にはいくつかのビールのコースターに出会いました。
ビールの銘柄やお店によって、ロゴや文字、形、デザインもさまざま。グラスの下に何気なく置かれている小さな一枚ですが、よく見ると、それぞれに個性があります。
お会計の際などに、店員さんにひと言声をかけてみるのがおすすめです。
チェコ語では、
「Mohu si to vzít?」
(これを持っていってもいいですか?)
新しいきれいなコースターが欲しい場合には、
「Mohl/a bych dostat jeden čistý tácek na památku?」
(記念に、きれいなコースターを1枚いただけますか?)
実物を指しながらお願いしてみると、未使用のものを出してもらえることもあります。
帰国してからコースターを眺めると、「このお店ではこのビールを飲んだな」「この日はブルノの街をこんなふうに歩いたな」と、そのときの風景まで一緒によみがえってきます。
ブルノを訪れた際には、ビールの味だけでなく、グラスの下にあるコースターにもぜひ注目してみてください。
お気に入りを見つけたら、店員さんにひと言声をかけて、ブルノの旅の記念にしてみてはいかがでしょうか🍺

89.観光案内所で押せるスタンプ
今回のブルノのお土産は、観光案内所で押すことができる記念スタンプ。
ブルノの観光案内所には、旅の記念に押すことができるスタンプが用意されています。
今回押してきたのは、ブルノを代表する作曲家レオシュ・ヤナーチェクの顔が描かれた「JANÁČEK BRNO」と、「TO JE → BRNO」の2種類。
「TO JE BRNO」は、チェコ語で「これがブルノ」という意味です。
観光案内所にはスタンプを押すための紙も用意されており、今回はその紙に2つのスタンプを押して持ち帰りました。
ヤナーチェクは、ブルノで長年にわたって活動し、この街と深い関係を持つ作曲家です。
ブルノを歩いていると、ヤナーチェクゆかりの場所はもちろん、さまざまなデザインやグッズなどでも、その姿や名前に出会います。
そして今回は、観光案内所のスタンプにもヤナーチェクを発見しました。
スタンプという小さなものですが、自分で押して持ち帰ることで、旅先でのちょっとした体験そのものが思い出になります。
「JANÁČEK BRNO」と「TO JE → BRNO」。
2つのスタンプが並ぶと、まさに「ヤナーチェクの街・ブルノ」を訪れた記念の一枚になりました。
ブルノを訪れた際には、観光案内所に立ち寄って、旅の記念にひと押ししてみてはいかがでしょうか

90.Kofola
今回ブルノから持ち帰ったのは、チェコやスロバキアで親しまれている炭酸飲料「Kofola(コフォラ)」。
見た目はコーラに似ていますが、その誕生の歴史を調べてみると、チェコスロバキア、そしてブルノと「コーラ」の意外な関係が見えてきました。
Kofolaの歴史が始まったのは1950年代。
Kofola公式によると、1957年、当時のチェコスロバキアで「西側のコーラ飲料に対抗できる、チェコスロバキア独自の飲料」を開発する課題が出されました。
研究の末、1959年に14種類のハーブや果実由来の成分とカフェインを組み合わせた「KOFO」シロップが完成。そして1960年、Kofolaが誕生しました。
ところが、それから約11年後。
今度は本家Coca-Colaが、チェコスロバキア国内で生産されることになります。その舞台となったのが、なんとブルノでした。
1971年、国営企業「Fruta Brno」とのライセンス契約により、ブルノ近郊のModřice(モドジツェ)の工場で、チェコスロバキアで初めて国内生産されたCoca-Colaが製造されました。
「西側のコーラに対抗する飲み物」として生まれたKofolaがすでに広く飲まれていた時代に、その西側を代表するCoca-Colaの国内生産がブルノ近郊で始まったのです。
Kofolaそのものはブルノ生まれではありません。しかし、ブルノで買った一本のKofolaから歴史をたどってみると、1960年のKofola誕生と、1971年のブルノ近郊でのCoca-Cola生産開始という、二つの「コーラ」の歴史がつながりました。
ブルノを訪れた際には、ビールだけでなく、チェコスロバキア独自の飲料文化を今に伝えるKofolaも味わってみてはいかがでしょうか🥤🇨🇿

91.ブルノのお土産屋さん
これまでの「ブルノのお土産」シリーズでは、ヤナーチェクのグッズ、メンデルにちなんだもの、地図やスタンプ、トラムの切符、クルテク、本、Kofolaなど、現地で出会ったさまざまなお土産をご紹介してきました。
全20回となったシリーズも、今回でいよいよ最終回。最後は、一つのお土産ではなく、それらと出会える「ブルノのお土産屋さん」をご紹介します。
まず立ち寄りたいのが、街の中心部にあるTIC BRNO(ブルノ観光局)のインフォメーションセンター。観光案内所ですが、ヤナーチェクをモチーフにしたグッズをはじめ、ブルノの街や文化をテーマにしたデザイン商品、ポストカード、本、雑貨などが並び、お土産探しにも楽しい場所です。
そして、もう一つ訪れてみたいのが、モラヴィア広場にある「PLACE STORE」。チェコやスロバキアのデザイナーやクリエイターによるアクセサリー、ファッション、雑貨などが並び、いわゆる観光土産とは少し違った、現在のチェコのデザインやものづくりに出会うことができます。
ブルノのお土産探しの面白さは、「何を買うか」だけではありません。「このデザインは何だろう?」と調べてみると、そこからヤナーチェクやメンデル、ブルノの歴史や文化へとつながっていくことがあります。
今回の連載でも、一つひとつのお土産を調べることで、現地にいたときには気づかなかったブルノの物語にたくさん出会うことができました。旅から帰ったあとも、手に取るたびに、その街で見た景色や出来事を思い出すことができる――。お土産は、旅先から持ち帰る「小さな街の記憶」なのかもしれません。
全20回にわたった「ブルノのお土産」シリーズは、これで最終回🎁でも、「ブルノを知る連載」はまだまだ続きます!
ブルノを訪れた際には、ぜひお土産屋さんものぞいて、自分だけの「ブルノ」を見つけてみてはいかがでしょうか🛍️🇨🇿

92.ブルノの朝ごはん
ブルノを訪れると、歴史的な建築や教会、ヤナーチェクゆかりの場所などに目が向きます。でも今回は、もう少し日常のブルノへ。
「ブルノでは、どんな朝ごはんを食べているのでしょう?」写真は、第3回チェコ演奏会でブルノに滞在した際、ホテルでいただいた朝食です。
パンやロールパンを中心に、ハムやチーズ、キュウリ、パプリカ、トマトなどの野菜、そしてコーヒー。チェコの家庭でも、パンやロールパンにバター、チーズ、ハム、ジャムなどを合わせ、コーヒーや紅茶とともにいただく、比較的シンプルな朝食が一般的です。
一方、現在のブルノの街へ出てみると、朝の楽しみ方はもっと多彩。実はブルノは、チェコの中でもカフェ文化が盛んな街として知られています。チェコ政府観光局VisitCzechiaでは、ブルノを「コーヒーのメッカ」と紹介したこともあるほど。街には朝から営業するカフェやビストロもあり、焼きたてのパンやシナモンロール、ワッフル、卵料理、ポリッジなど、さまざまな朝食を楽しむことができます。ベジタリアンやヴィーガンのメニューを用意する店もあり、シンプルなパンとコーヒーから現代的なブランチまで、選択肢も豊富です。
なかでも面白いのが「ワッフル」。VisitCzechiaでは、ブルノの「Kafec Brněnský」が朝のワッフルを楽しめるカフェとして紹介されています。観光名所を巡るだけでは、なかなか見えてこない街の姿。朝のカフェでコーヒーを飲んだり、ホテルでパンを選んだり―そんな何気ない時間にも、「暮らす街としてのブルノ」を感じることができます。ヤナーチェクの街。建築の街。
科学の街。そして朝になれば、パンとコーヒーの香りとともに一日が始まる街。
今回の写真を見返すと、演奏会や観光地だけではなく、ブルノで迎えた何気ない「朝」も、旅の大切な思い出だったことに気づきます。ブルノを訪れる機会があったら、少し早起きして「ブルノの朝」を味わってみるのも、この街を知る方法のひとつかもしれません☕🥐

93.ヤクブ・フルシャ(Jakub Hrůša)
チェコ第2の都市ブルノは、作曲家レオシュ・ヤナーチェクゆかりの街として知られていますが、現代のクラシック音楽界で活躍する世界的な指揮者の出身地でもあります。
その一人が、1981年にブルノで生まれたヤクブ・フルシャです。
プラハ芸術アカデミーで名指揮者イルジー・ビエロフラーヴェクらに師事し、指揮を学びました。
2016年からドイツのバンベルク交響楽団の首席指揮者を務め、2025/26シーズンからはロンドンの英国ロイヤル・オペラの音楽監督にも就任しています。
また、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者としても活躍しており、2028年9月からは同楽団の首席指揮者・音楽監督に就任することが決まっています。
日本との関わりも深く、2010年から2018年まで東京都交響楽団の首席客演指揮者を務めたほか、NHK交響楽団にもたびたび客演しています。
チェコの作曲家ドヴォルザーク、ヤナーチェク、マルティヌーなどの作品にも積極的に取り組み、特にヤナーチェクのオペラを世界の主要な歌劇場で指揮するなど、チェコ音楽の魅力を国際的に発信しています。
2026年には、米国の音楽専門誌『Musical America』の「Conductor of the Year」に選ばれました。
ブルノで生まれた一人の音楽家が、チェコの音楽を世界へ届けている―。
ヤナーチェクの街・ブルノと、現代の世界的なクラシック音楽界とのつながりを感じさせてくれる指揮者です。

94.「電子顕微鏡」
ブルノには、世界の科学技術を支える顔があります。
それが「電子顕微鏡」です🔬
電子顕微鏡は、光の代わりに電子のビームを使い、通常の光学顕微鏡では見ることが難しい、非常に小さな世界を観察する装置です。医学や生命科学、半導体、材料開発など、さまざまな分野で活躍しています。
驚くことに、チェコ科学アカデミーによると、世界で製造される電子顕微鏡の約3分の1が、ここブルノで生産されているそうです。
その歴史は1950年代にさかのぼります。
物理学者アルミン・デロング(Armin Delong)らの研究チームが電子顕微鏡の開発を進め、1954年には卓上型電子顕微鏡「Tesla BS 242」を完成させました。
この装置は1958年のブリュッセル万国博覧会で金賞を受賞。その後、1,000台以上が製造され、世界各国へ輸出されました。
現在もブルノには、Thermo Fisher Scientific、TESCAN、Delong Instrumentsなどの電子顕微鏡関連企業が集まり、研究機関や大学とともに技術開発を続けています。
さらに2025年には、新たな電子顕微鏡研究センターが開設されました。
ブルノでは毎年、一般の人々にも電子顕微鏡の世界を紹介するイベント「電子顕微鏡の日々(Dny elektronové mikroskopie)」も開催されています。
音楽、歴史、建築だけではなく、目に見えないミクロの世界を探究し、世界の科学を支えているブルノ。
この街の意外な一面を知ると、ブルノの魅力がさらに広がっていきますね!🇨🇿✨

95.小林武史氏とブルノ
チェコ第2の都市ブルノ。ヤナーチェクゆかりの音楽の街には、日本人ヴァイオリニストの重要な足跡も残されています。その人物が、小林武史(1931〜2025)氏です。
🎻 ブルノ・フィルのコンサートマスター
小林氏は1961年、ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任。当時のチェコスロバキアで、日本人音楽家として活躍しました。
1964年にリンツへ活動の場を移した後も、ブルノとの交流は続きました。
🎼 ブルノで世界初演された日本の音楽
1979年3月、小林氏は伊福部昭の《ヴァイオリン協奏曲第2番》を、ズデニェク・コシュラー指揮、ブルノ・フィルとともに世界初演しました。
この歴史的な演奏は録音され、後にCDとして発売されています。今回の写真は、その初演録音を収めたCDのジャケットです。💿 ( https://www.3s-cd.net/2021-12-11/ )
さらに1983年には、團伊玖磨の《ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジア第2番》を、同じくブルノ・フィルと世界初演しました。
日本人作曲家の作品が、日本人ヴァイオリニストとチェコのオーケストラによって、ブルノから世界へ届けられたのです。
🇯🇵🇨🇿 ブルノを「故郷」と感じた音楽家
小林氏は後年のインタビューで、ブルノを自身の「故郷」と感じていることを語っています。
2025年5月19日、94歳で逝去されましたが、その功績は日本とチェコの音楽交流の歴史に刻まれています。
そして2026年9月14日、私たちフィルハーモニックアンサンブル管弦楽団(PEO)も、ブルノのベセドニー・ドゥームで演奏会を開催しました。
先人たちが築いてきた音楽交流の歴史に思いを馳せると、この街で演奏できたことを改めて感慨深く感じます。🎶
🎬そして当団コンサートマスター永峰高志先生との関係もありました。
https://www.youtube.com/watch?v=CP9C3iv0s44

96.ナポレオンとブルノ
ブルノの歴史には、あのフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトも深く関わっています。PEOが公開したブルノ・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニスト後藤博亮氏と、指揮者・ピアニスト薩摩研斗氏の特別対談動画でも、ナポレオンとブルノの歴史が話題になりました。
🇫🇷 ナポレオンがブルノにやって来た!
1805年11月19日、フランス軍がブルノに進軍。翌20日にはナポレオン自身も入城し、現在のモラヴィア広場にある建物に司令部を置きました。
当時のブルノは、フランス軍の兵士や馬、大砲であふれ、市民たちは不安な日々を過ごしていました。
⚔️ 歴史に残る「三帝会戦」
ナポレオンはブルノを拠点に周辺の地形を調査し、決戦に備えました。
そして1805年12月2日、ブルノ近郊のスラフコフ(ドイツ語名アウステルリッツ)で、フランス軍とロシア・オーストリア連合軍が激突します。
フランス皇帝ナポレオン、ロシア皇帝アレクサンドル1世、オーストリア皇帝フランツ2世にちなみ、「三帝会戦」と呼ばれるこの戦いは、ナポレオン軍の大勝利に終わりました。
🏛️ 今も残るナポレオンの足跡
ブルノ中心部には、ナポレオンが司令部を置いた建物が現在も残り、滞在を記念する銘板が設置されています。
また、毎年11月には、当時の軍服を着た兵士や騎兵が街を行進する歴史再現イベント「Napoleon v Brně(ブルノのナポレオン)」も開催されています。
美しい街並みの中に、ヨーロッパの歴史を大きく動かした出来事の記憶が息づいているブルノ。
音楽の街としてだけでなく、歴史の舞台としても興味深い街ですね!🇨🇿✨
【Youtube】ブルノフィル後藤博亮氏 × 指揮者・ピアニスト薩摩研斗氏|チェコ・音楽を語る
https://youtu.be/Bon4G6lNey8?si=gnxVVVCJRiBYqe9A

97.ホテル・アヴィオン
チェコ第2の都市ブルノは、近代建築の宝庫でもあります。
街の中心部、チェスカー通り(Česká)にある「ホテル・アヴィオン(Hotel Avion)」は、その中でもひときわ個性的な建物です。
🏨 間口わずか約8メートル!
1928年、チェコの建築家ボフスラフ・フックス(Bohuslav Fuchs)の設計によって誕生したホテル・アヴィオン。
驚くのは、その細長さです。
敷地の間口はわずか約8メートル、奥行きは約34メートル。限られた土地に、高さ約40メートルのホテルを建てたのです。
💡 狭さを感じさせない設計
フックスが採用したのは、装飾よりも機能性や合理性を重視する「機能主義(ファンクショナリズム)」という建築思想。
大きな窓から自然光を取り入れ、階ごとの空間を巧みに連続させることで、狭い敷地とは思えない開放的な内部空間を実現しました。
その独創的な設計は、ブルノの近代建築を象徴するものとして高く評価されています。
☕ 現在も利用できる歴史的ホテル
長い休業と修復工事を経て、2022年に再オープン。
現在は宿泊施設だけでなく、カフェや建築に関する展示、街を見渡せる屋上テラスも備えています。
歴史的な建物が、約100年を経た今も現役のホテルとして使われているのです。ヤナーチェクの音楽や歴史的な街並みだけでなく、20世紀の革新的な建築にも出会えるブルノ。街を歩いていると、思いがけないところに建築の傑作が隠れています!

98.ツィンバロン
チェコ第2の都市ブルノが位置するモラヴィア地方には、古くから受け継がれてきた豊かな民族音楽の文化があります。
その音楽を象徴する楽器の一つが「ツィンバロン(Cimbál)」です。🎶
🎵 ピアノのようで、ピアノではない?
ツィンバロンは、台形の大きな共鳴箱に多数の金属弦を張り、両手に持った小さなバチで弦をたたいて演奏する楽器です。
ピアノも内部ではハンマーが弦をたたいて音を出しますが、ツィンバロンは演奏者が直接バチを操り、繊細で華やかな響きから力強いリズムまで表現します。
🎻 モラヴィアの民族音楽に欠かせない存在
南モラヴィアでは、ツィンバロンを中心に、ヴァイオリンやコントラバス、クラリネットなどを組み合わせた「ツィンバロン楽団(Cimbálová muzika)」が親しまれています。
村のお祭りや踊り、ワインの収穫祭など、人々が集まる場で演奏され、地域の歌や踊りを支えてきました。
🎼 クラシック音楽とのつながりも
モラヴィアの民謡は、ブルノゆかりの作曲家レオシュ・ヤナーチェクにも大きな影響を与えました。
ヤナーチェクは民謡の収集・研究に取り組み、その独特の旋律やリズムを自身の音楽にも生かしています。
ツィンバロンの響きに耳を傾けると、ヤナーチェクが愛したモラヴィアの音楽文化を、より身近に感じられるかもしれません。
ブルノの街を訪れたら、オーケストラやオペラだけでなく、ぜひモラヴィアの伝統音楽にも耳を傾けてみたいですね!🇨🇿✨

99.その語源は、なんと「泥」
チェコ第2の都市、ブルノ(Brno)。これまで歴史や文化、音楽、建築など、さまざまな角度からこの街をご紹介してきました。ところで、そもそも「ブルノ」という名前には、どんな意味があるのでしょうか?
🌿 名前の由来は「泥」?
有力な説によると、「Brno」という地名は、古いスラヴ語の「brn-」という語根に由来すると考えられています。
その意味は、なんと「泥」「ぬかるみ」「粘土」!
現在の美しい街並みからは、少し意外な名前の由来ですね。
🏞️ 川のほとりから始まった街
この地名は、かつての湿った土地や泥の多い場所と関係しているという説があります。
現在のブルノには、スヴラトカ川(Svratka)とスヴィタヴァ川(Svitava)が流れ、古くから川とともに人々の暮らしが営まれてきました。
市内には「スタレー・ブルノ(Staré Brno)」という地区もあります。チェコ語で「古いブルノ」を意味する名前で、街の長い歴史を今に伝えています。
📜 何世紀にもわたって受け継がれた名前
ブルノは中世からモラヴィアの重要な都市として発展してきました。
また、ドイツ語では「Brünn(ブリュン)」と呼ばれ、チェコ語とドイツ語、二つの言語の歴史が重なる街でもあります。
地名一つにも、この地域が歩んできた長い歴史が刻まれているのです。
🎶 名前の中に息づく歴史
「泥の多い場所」に由来するとされる地名が、今では音楽や学問、建築、文化が息づくチェコを代表する都市の名前になっています。
2026年9月、PEOが初めて演奏会を開催したブルノ。その街の名前の由来を知ると、私たちにとっても、いっそう特別な場所に感じられます。🇨🇿✨

