[ 50th Anniversary Special Project ]
Featuring a special commemorative contribution from the 30th anniversary
( Message from Artistic Advisor Kazuhiko Komatsu )
創団30周年に寄せて 芸術顧問 小松一彦 [ 結成30年の特別寄稿 ]
——結成50年特別企画として、結成30年の特別寄稿(芸術顧問・小松一彦氏メッセージ)を掲載いたします。
フィルハーモニックアンサンブル管弦楽団との15年
この、意欲あるアマチュア・オーケストラの歴史の半分の年月に自分が関ってきたとは…あっという間の15年間であった。ステージを共にした、その数々のコンサートの中で一番印象に残っているのは、やはり1998年のウィーン楽友協会大ホールでの演奏会である。あのウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで有名なこのホールのサウンド・アコースティックの素晴らしさには、ステージで演奏をしていても大変感激したものだが、何よリインパクトがあったのは聴衆の反応であった。
このコンサートのプログラムは武満徹作品の紹介などを含む、多彩且つ意欲的なものであつたが、取りの曲、交響詩『ひろしまのピカ』の演奏が終った時の、聴衆の打ちのめされたようなそして会場の空気の重苦しく、凍り付いたような異様な雰囲気は今でも忘れられない。それだけ聴衆にとって、ヘビーなボディーブローのような強烈な衝撃があり、またイベントとして真に意義のあつた選曲、コンサートであつたといえよう。
交響詩『ひろしまのピカ』は丸木俊さんの有名な絵本『ひろしまのピカ』のスペイン語版を読んで啓発された、中米グアテマラの国際的作曲家ホルヘ・サルミエントス氏が、1994年に作曲した強い音楽的メッセージを持つ作品であり、作曲者の切なる願い「終戦50年の1995年にぜひ日本で世界初演を!」に応えて、私が名古屋で世界初演、直後に東京でこのフィルハーモニックアンサンブル管弦楽団と演奏したのがこの曲の歴史の始まりである。
ウィーンでの聴衆の反応についてもう少し詳しく述べてみよう。今でもそのコンサートの記録ヴィデオを時に私は見るのだが、曲の最後の和音が解決せずにフェードアウトして行く作曲手法は、心象的には「原爆は自然に落ちるものではない、人類はこの事を決して忘れてはならない!」というナレーションの延長線上として、“問題は未だ解決を見る事なく継続している、人類はこの事象をずっと考えて行かなければならない”という重い意味を表しており、その部分で指揮者の私にカメラが向くのだが、画面の背後には客席の聴衆が写っている。曲が絶え入るように終っても、指揮する動きを止めた腕を下ろさない私の後ろで聴衆も重苦しく息を詰めている。長い長い沈黙の後ようやく腕を下ろした私のアクションに応えて拍手が起るが、それはあまり力強いものではない。当然そうなると私は日本を発つ前から予想していたし、そしてカトリックの国だから「救い」を持つ曲をアンコールとして用意せねばと考えていた。
座席から立ち上がれない、このままでは帰路につく事ができないという表情をした聴衆とステージヘのカーテンコールの出入りで何回か顔を合わせた後、おもむろ私は徐にビゼー作曲『アニュス・デイ(神の子羊)』を指揮し始めた。この曲は有名な『アルルの女』の美しい間奏曲の音楽にミサ曲の歌詞を付け、独唱・合唱とオーケストラが一緒に演奏するように編纂したものだ。曲が力強く終った。その直後、割れんばかりの大拍手が会場に沸き起った!音楽の持つ力…。聴衆の顔は一様に“これで心安らかに家路につく事ができます。ありがとうございました”という気持ちに満ち満ちている。私の長い演奏歴の中でも、戦慄とその反動としての感動が聴衆の反応に同居したコンサートはこの時だけであったかもしれない。
その他の場面でこのオーケストラと演奏した歴史の中では、やはリマーラーとリヒャルト・シュトラウス、特にギネスブックの史上最長の交響曲に記されているマーラーの交響曲第三番の演奏は忘れられないものである。
いずれにせよこれまで創団以来この団体を力強く牽引してきた小林、長谷川両夫妻を始めとする幹部のエネルギー、及び団員の努力と健闘そしてトレーナー陣の献身的なご指導に心より敬意を表したいと思う。
リヒャルト・シュトラウスとマーラー
今回演奏する2曲はリヒャルト・シュトラウスを代表する、しかしこの作曲家の作品の中では対極を成すともいえる性格を持つ、本国のお客様にとっては大変に聞き応えのあるプログラムであろう。そのR・シュトラウスと同時代に活躍した作曲家・指揮者にマーラー(1860~ 1911)がいるが、彼の残した有名な言葉のひとつに「やがて私の時代が来るだろう…」というものがある。純粋ドイツ人のR・シュトラウスに対してユダヤ人であったマーラーの音楽は巨大なオーケストラを駆使したという共通点以外は全く違う性格を持つものだが、マーラーの本心は「(効果を狙った要素が強いR・シュトラウスの音楽が今は持てはやされているが)やがて私の(内面的な音楽が理解・評価を高める)時代が来るだろう…」であったとされる。即ち単なるきれい事の発言ではなく、言葉の裏に強いライバル意識を滲ませたものであったのだ。
確かにR・シュトラウスの音楽にはマーラーの音楽を最も特徴付けている“さすらう魂の叫びの歌”のような要素は殆ど見当たらない。それをどう思うかであぅが、逆にいえば私の喩え方ではこれほど“美食の愉しみ”を与えてくれる作曲家も他にいないと考え、突きつめて行くと音楽というものの持つ“楽しさ”と“内面性”の双方をどのように考えるかという命題に我々は突き当たるのである。特に本国の『アルプス交響曲』は肥大・肥満化した音楽内容を巨大オーケストラを駆使し、ゴージャスなサウンドで描いた映像的描写音楽のフルコースの趣が強い。オーケストレーションの見事さも加わつて、そこに聴き手を飽きさせない“業師”としての美点・特質が明確に浮かび上がるが一方、この作曲家としては珍しい、アルプスの澄んだ空気を想わせる“清澄なサウンド”の部分が随所に鎮められているのもこの曲の特徴である。
そのサウンドは、曲の性格としては対極にあるといえる最晩年の作品『4つの最後の歌』の“脂の抜けた”音と通じるものがあり、それが両曲を繋ぐ共通項といえよう。私見では、51才で逝ったマーラーに対し85才まで生き長らえたR・シュトラウスが、その生の最後の最後でマーラーの域に達した作品が『4つの最後の歌』であり、この曲を残した事によりR・シュトラウスは後世の人々から、“仕事のプロ”としての印象だけでなく畏敬の念を強く持たれることになったのであろうと思う。
マーラー的な深い内面的な心象風景を持つこの作品は私の最も愛好する作品であるが、この曲で忘れられない演奏が2つある。そのひとつは正に、西洋人的な油性の粘液質的な声と音楽を見事に具現しているジェシー・ノーマン歌唱、クルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるレコードであり、もうひとつはスイスのルツェルン音楽祭2004でのライヴの映像によるルネ・フレミング歌唱、クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団によるものである。特に癌から奇跡的に立ち直った指揮者のアバドのこの曲への共感度が素晴らしい。この曲ではR・シュトラウスが“死というものを受容、死との共生”を感じ表現しているその事に、アバドが自身の癌・死と隣り合わせの生を完全に重ね合わせているかに見てとれたからであり、その指揮する姿は痛々しくも美しく、私は大変感動した。さて、今回この曲を森麻季さんと共演できる事を、私は上記した性格とは違う意味で大変楽しみにしている。彼女はモーツァルトなども得意とする透明な声と音楽性をお持ちで、昔「モーツァルト歌手」と呼ばれたエリー・アメリンクを思い起こさせるが、実はR・シュトラウスは意外な事に、モーツァルトを大変敬愛していたという事実があり、喩えるならかつて、名指揮者カラヤンが声の透明な歌手ばかりを起用して美しい“植物的な”ワーグナーの新鮮な演奏を実現した場合のように、よい意味でラード味(油性)の強くない、むしろ水性の演奏の美しさというアプローチで、最晩年のR・シュトラウスの澄んだ心の世界を森さんと共に、“夕映え色”のサウンドの造り方も含めて表現してみたいと私は考えているからである。
結び
本国の演奏をきっかけとしてこのオーケストラが一層発展向上し、荀も日本のオーケストラ界の小さな一翼を担わせて頂ける場所を確かなものとするために、今後も私は渾身の指導を続けて参る所存ですので、皆々様応援の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。
本日はありがとうございました。
記念すべき創立30周年演奏会の日に。
[ 結成30年記念 ]第45回演奏会
2007年2月12日(月祝)
東京芸術劇場大ホール
指揮=小松一彦
独唱=森麻季(ソプラノ)
R.シュトラウス / 4つの最後の歌
R.シュトラウス / アルプス交響曲

小松一彦氏プロフィール
桐朋学園大学指揮科卒業。斎藤秀雄氏に師事。NHK交響楽団指揮研究員、旧西独ライン・ドイツ歌劇揚副指揮者を経て、1978年N響を指揮し正式デビュー。チェコの名門プラハ交響楽団の常任客演指揮者を務める等、世界第一線で活躍した国際的指揮者。
1994年のロシアでのデビュー以降、チェコやスロヴァキアなど東欧諸国へも継続的に客演。2001年には北欧にも活動の場を広げ、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を指揮。2002年、ロシアのキーロフ歌劇場フィルハーモニー管弦楽団、2003年にはイスタンブール国立交響楽団、それぞれの日本ツアーの指揮をとった。
2004年、サンクトペテブルグ・フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にデビュー。2005年6月、プラハ響と日本ツ アーを行うとともに、同オーケストラを指揮したCD「ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」・スメタナ:交響詩「モルダウ」」をリリース。 2006年、プラハ響定期演奏会にて《モーツァルト生誕250年記念プログラム》、サンクトペテルブルク・フィル定期演奏会で《ショスタコーヴィチ生誕 100年記念プログラム》をそれぞれ指揮し、絶賛された。
2008年には、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を指揮して、ハンガリーにデビュー。
現代作品・邦人作品の演奏に於いても第一人者として、芥川作曲賞など年間数多くの新作初演に取り組む一方、大正・昭和期の作品の復元・紹介、貴志康一や須賀田磯太郎作品の監修・復元・CD化(ビクター/ナクソス)は日本洋楽史の欠落したページを埋める仕事として高い評価を受けている。また、NHKテレビ「名曲アルバム」やテレビ朝日系「題名のない音楽会」の指揮者として、放送でも活躍。
大阪芸術大学教授を務め、オーケストラやオペラ、後進の指導に情熱を傾けた。イタリア放送協会賞、大阪府民劇場 奨励賞を、また2001年、現代音楽・邦人作品での長年の優れた業績に対し、第19回中島健蔵音楽賞を受賞。著書に「実践的指揮法」(音楽之友社 刊)、エッセー集「小松一彦の音楽紀行」等がある。


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